あたらしい景色を見るために
沖縄に来た。
12年ぶりに見る、那覇の景色。
つい2.3週間前まで、他人事のように
「へ?沖縄」
と言っていた自分が嘘のように
今、まさに琉球の地に降り立った。
例年より、28日も早い梅雨明けに
気持ちの良いほど、スカッと晴わたる空と青い海。
どこにでも、ありそうなキャッチコピーを並べただけで
それでも、人の心を惹きつけ揺さぶるのは、
不朽かつ絶対的な魅力がこの地にあるからに他ならない。
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旅。
人生の、そして生活の一部として切り離せない趣味に、思いを馳せない日は一日たりともない。
どんな時も自分の気持ちを引き揚げ、鼓舞してくれるアイテムとして心の多くを占めている。
最後にバックパックを背負ったのは、いつだったか。
そうだ、2月も終わりの頃。
ベトナムの空と海をこの目で捉えていた。
あれから、もう4ヶ月か。
4ヶ月前は、人生のベクトルがこんな風に向かっていってる確信なんて何もなかった。
ただあったのは、好奇心と変えると決めた素直な気持ちと直感、野心だけ。
そして、また自分は旅に出れたんだ。
なんて有難いことなんだ。
身の回りをゆっくり眺める。
毎日型通りの生活を送っているなら、旅がもたらす効果はなおさら、大きい。
大きいなんてもんじゃない。
日常から離れることで、刺激を受けた頭がすっきりして、あたらしいアイデアが浮かんだり、あたらしい可能性が見えてきたりする。
あたらしい体験をして、あたらしい景色を見て、あたらしい刺激が与えられることで、決まり切ったお決まりの日常から脱出して、創造的な力が活発に働くようになる。
いつもの環境から離れるのは、他の場所に暮らしている人たちの視点で物事を捉えるチャンスでもある。
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旅している時は、いつもその地で暮らしている人の生活を出来るだけ観察するようにしている。最近は、そこで成り立っているビジネスのことにも関心が出てきた。
これは、再現性があって、かつ汎用性が効くものだろうか?
それとも、ここだから成り立っているの?
答えは、すぐには分からなくとも考察し仮説を立てるっておもしろい。
(次からイタリアでジェラートを食べる言い訳に使えるな、これ)
その土地で、暮らしている何人かと実際に話す機会を得たら、それだけで物事をまったく違う視点から眺められたような気分になり、あたらしい可能性を見つけることにつながる。
旅をしている最中は、リアルタイムで分からなかったことが、帰国するなり、時間を置いてみて、あの時の出会いはこういう気づきだったのか、とハッとさせられることもしばしばある。
なじみのない場所に身を置くだけで、考え方も行動もあたらしくなる。
ありふれた響きに聞こえるかもしれない。
でも、いつものパターンを抜け出すというのは、目に見えるものも味わう感覚も、いつもと違ってエキサイティングなものになるのだ。
そして、それが創造性を刺激する。
一見、遊びだ。
いや、ひっくり返しても、逆さまにしてみても遊びだ。
遊びと仕事の垣根のないように、の言葉のとおりだ。
あたらしいアイデアが浮かび、人生や仕事に対しての熱意も一新されるだろう。
これは、もう何度となく経験してきたこと。
今回もそんな恩恵に預かっているところがある。
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いつも、事あるごとにわたしの選択を尊重して「行っといで」と快く送り出してくれる家族に感謝を捧げたい。
いつの頃からか「あんたは言っても聞かない娘(こ)やからね」といって程よい距離感で放っておいてくれているお陰で、今日もわたしはあたらしい景色を見ることが出来ています。
本当に、ありがとう。
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ところで、どうして沖縄?
長らく自分が人生で大切にしているものの、ひとつに"タイミング"があるが、
その時のタイミングと出会いを大事にしていきたい。
何気ない会話から、沖縄への誘(いざな)いをキャッチして、
「来る?来たらいいやん」
「え、じゃあ行こうかな。」
そんな会話で航空券をポチってしまう人生、悪くない。