旅と時々、アファメーション

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チキンだけど、冒険好き。

人生で一番嬉しかった日のこと

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桜の時期になると思い出すことがある。

 

今年は早葉桜になってしまったけど、

 

『記憶の中の桜はまだ満開』

 

そんな歯の浮くようなコピーが浮かんだ。

 

本来なら、卒業の時期である3月に書こうと思っていた記事だが、

 

日々に忙殺されているうちに4月になってしまった。

 

中学の卒業式直前、クラスルームで担任に言われた一言。

 

「大事な子どもの卒業式に来ない親などいない。親たるもの子どもを想っていればこそ、必ず来るから」

 

しかし、 

 

小学校の卒業式も...

中学校の卒業式も...

 

式当日、うちの両親の姿はなかった。

 

当時は、多分悲しい気持ちはあったはず。

 

しかし大人の事情というものに徐々に折り合いをつけるのが、

 

うまくなっていったのもまた事実だ。

 

うちは世間でいうところの例外ということか。

 

同じくらいの年の子どもを持つ彼にとって、

 

必要以上に自らの生徒に感情移入をした結果、

 

傷つけた生徒の存在があることなど知る由もないだろう。

 

「子どものハレの日くらい店を閉めて行きなさいよ」

 

そんな風にうちの両親に諭す輩もいたな。

  

誰しも事情を抱えながら生きている。

 

自分をものさしで測らないこと。

 

良かれと思って言った一言が仇になることもある。

 

打ちどころによっては打撲ではすまないんだよ。

 

そんなことを当時の担任から逆説的に学んだような気がした。

 

どんな時も喜びすぎないこと、

どんな時も哀しみすぎないこと

 

所詮、自分の人生など他人の人生の脇役。

 

クールだとか、常に冷静沈着だとか言われるけど、

そんなんじゃないんだよね。

 

“ 画面の向こう側で受け取る人の存在を忘れないこと ”

 

受け取り手の気持ちなど千差万別だから、置き去りにすることなかれ、なんだよ。

 

SNS時代においても、あの時の傷ついた気持ちは活きているのか、と思うと

今となっては多少なりとも成仏はされている気がする —

 

中学校卒業式当日、当然ながら彼らの姿はなかった。

 

ラクルなど起きなかった。

 

期待などもちろんしていない。

 

たった一度も。

 

.

.

 

(3年後・・・)

 

.

.

 

学生最後の年がまもなく終わろうとしている時、

 

何を血迷ったか、式当日の答辞を詠むという大役を引き受けることになった。

 

私などがおこがましい...

 

という気持ちに

 

死ぬ気で走り抜けた学生生活にきちんと終止符を打ちたい

 

という気持ちが勝って、二つ返事でOKを出した。

 

これまでの想いが走馬灯のように駆け巡る。

 

多くは陰ながら支えてくれた両親と恩師、そして最高の仲間への感謝だった。

 

後悔の類など1ミクロンもない。

  

その場にたとえ、両親の姿がなくても。

 

卒業式当日、答辞を読むという大役を果たして、

 

振り返った先にわたしに見える位置に座っている両親と目が合った。

 

驚きを隠せなかった。

  

驚きなんてもんじゃない...。

 

両親は仕事を休んで会いにきてくれた。

 

当日まで来るなどと一言も話していなかったのに...。

 

あたたかい涙が心の中に溢れたような気がした。

 

私が人生で一番嬉しかったこと。

 

 答辞で詠んだ

 

出会うべくして出会った人との思い出はかけがないもの

 

これからもその想いを胸に一瞬一瞬を大切に走り抜けたい、

 

その気持ちに嘘がないことをここに記して、

 

あれから十年後の決意表明としたい。