夢想旅
Appleから直々に、
「データをいくらか削除してください。
さもなければ、あたらしいアップデートをお楽しみいただけません。」と
お願いされまして...
不本意ながら、写真の整理をしている関係で、
過去の旅写真に触れることも多くあるこの頃。
フィルター越しに見た世界、
旅の随所であんなに特別だった景色や世界観の一部を切り取って収めた瞬間、安堵して、それ以降はめったに見返さないなんてこと、ザラにある。
その反面、整理したりする時にちょっと見返していると、
あんなこともあったなぁ、こんなこともあったなぁ。
ここで、この人と出会って、その後...みたいに、
そのちょっとという油断がとんでもなくディープな感情に引き戻らせたりするから、
よっぽど心に余裕がある時でないと、オチオチとその扉を開くことは謹んでいる。
そして、いくら写真が好きだといっても
やっぱり現地にいる時は、その土地で味わう空気感を大切にしたいし、ある程度写真に撮り収めたら、あとは生で自分は来たかった場所に今ようやく来れて、こうして立っているんだ、って感覚を大切にしたい。
現に、そうやって、いつも自分に言い聞かせてきた。
わたしが一人旅を好むのは、
誰に遠慮することなく、時間的な制約に縛られることもなく、
見たい景色と向き合ったり、好きな時間をかけて撮ったり出来るからというのも大きいなと思う。
いつも長い時間をかけてというよりか、
あっさりしている時も割りに多いが。笑
要は、気分には勝てないから好きなようにいさせて撮らせてくださいな、という感じ。
他人も同じような感覚を持っていると思うから、邪魔もしたくないしされたくないのだ。
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昨夜、夢の中でディープな旅をしてきた。
インドだったのかな、東南アジアだったのかな。
ちょっと場所の特定がうまく出来ないのだけれど、
残像がカラーでありありと思い出せるあたり、
たしかに自分はその時間を生きていたんだろう。
ものすごいスピードで移り変わる景色、
人々とのふれあいにエネルギーをもらった。
旅の夢は、こちらが意図して見たい、と思っても、
なかなか見ることは出来ないんだけれど、
たまに強烈に印象に残るものを見せてくれたりする。
もう随分前になるけど、旧・ヨーロッパの洋館を訪ねたときの夢、
当時、見せてもらった絵画の中から抜け出したような衣装、室礼を
この目で見て感じたことは夢の中のはずなのに
想像以上にクッキリと覚えている。
ふと、その時は、何語で話していたんだろう?
会話はなかったのかな?
夢から教わることだって少なくない。
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自分だけが知っているような特別な景色、
決してガイドブックに載らないような路地裏や
二つと存在しない偶然の奇跡のアングルを発見した時には、
誰かに見てほしい喜びとそっと胸にとっておきたい二つの気持ちが同居する。
人間は二通りいるな、と思うことがあって
知らないものを見た時に、
知らないから知りたいタイプと
否応なしに否定して認めることを拒んだり、見ようともしないタイプ
後者は、タチが悪くてその土地に行ったこともないのに
簡単に見下したり、適当に大したことないと結論づけて
舐めたようなことを言ったりする。(経験アリ)
そんなことって誰に言えるだろう?
そんなこと言ってるうちに自分らも足元をすくわれるゼ、って日が絶対にくる。
無知ほど恐ろしいものはない。
個人的にどっちが上とか下とか、どーでもいいから、
お互いの良い部分を掛け合わせて、
新しい価値を生み出す未来を生きたいな、と強く思う。