迷うなら、所詮いらないってこと。
ミニマリストとは言わなくとも、
出来る限り少ないもので暮らしたい、
と日々思って暮らしている。
いつ追い出されてもいいように、
自分の荷物は、マイカーに積み込んで運べるだけにする、くらいに思って暮らしていたこともある。笑
幸い、追い出されることはなく、
未だに有り難く、実家の隅に置いてもらっているので、
いちおうカタチだけ、それくらいの量で暮らそう、と心にとどめている程度だ。
今でも、定期的に沸き起こる、マイ断捨離ブームの度にドカドカ捨てている。
その時のいらない感情も一緒にオサラバしてしまうような感じで。
自分がときめくもの以外は、”ありがとう”と言ってお別れしなさい。
「人生がときめく片付けの魔法」の著者である、
元祖・片付けコンサルティング、こんまり先生の教えは、今もわたしの中に根強くあるようだ。
このシンプル極まりないメソッドは、長年わたしの心を掴んで離さない。
いらないものを手放し、自分の所有物を把握できると無駄なものを買わなくなる。
そのうちに、持っているもの全てがお気に入りのものになる。
結果として、全てを愛おしく想って大事にする。
.
.
ここ数年の間に、服も本も漫画も大量にお別れしてしまった。
そこそこ好きだった本に関してもエッセンスは吸収したから、また、読みたくなった時まで、この世のどこかに預かってもらおう。
そんな気持ちで手放した。
よくあれだけ、持っていたなぁ。
思い返せば、ハタチそこそこの時に使っていた服代、靴代も考えてみるとちょっと恐ろしい。
季節が変わる頃に、新作を。
季節が過ぎてしまえば、何事もなかったように、さようなら。
しばらく、そのローテーションを繰り返していた。
サラリーマンで定期的にお給料をいただけると錯覚してしまうんだな。
次のボーナスでご褒美にあれを買おう。
そういうモチベーションが会社に属する安易な思考回路をつくってしまうような。
実は、名ばかりの甲斐性に酔っていたのかもしれない。
あれから、すっかり考え方が変わって、少しだけ大人になった今は、同じお金があるなら、全く別のところに使うだろう。
分かりやすく言うと、物欲よりも経験にお金を払いたい、と思う傾向がさらに強まった、というと伝わるだろうか。
すっかり、流行りすたりにはじまるファストファッション的な考え方もどこかへ行ってしまった。
たまーに、一目惚れした良質なものを長く大事に使っていきたい、そんな風に思うようになった。
どうやら最近は、その傾向が頓に強くなっているようだ。
自己変遷。
.
.
昔から、母に
”迷うものはやめておきなさい”
と言われて育てられてきた。
”迷うくらいなら、所詮いらないってこと”
これは、物以外も意外と何でもよく当てはまるロジックで、母の教えの中でも、上位級に気に入っているもののひとつだ◎
手にとった瞬間に、運命の出合いを感じてしまうようなモノ以外は、大抵その場限りの感情で終わることが多い。
一旦、考えるか。と
置き去りにしてきたもののほとんどの存在は、忘れ去ってしまっている。
結果、買わなくて後悔した、ということは、あまりない。
ただし、注意点として、このロジック旅行の時だけは崩れるからな。。
もう、二度と来ないかもしれない...
そんなセンチメンタルな言葉が、あらゆるモノに一期一会を感じさせる。
元々、ショッピング旅行はしないからいいにせよ、
これ、〇〇さん、好きそう...
旅の思い出を語る言い訳に、今度会う約束をこじつけて渡そうか...etc
最終的に、いらないって言われても、自分で使うか。笑
みたいに包括してしまうため、ついつい買ってしまうのだ。
食べ物の誘惑にも、ついつい釣られてしまうから、そこでしか手に入らない食材だったり、調味料なんかは、いやぁ、使わないかも...?と思っても、やっぱり時々、意思の弱さに負けて、レジまで持っていってしまう。
現地の人に美味しいよ、と言われると、そうだよね。と試してみたくなる。
好奇心の現れか?
.
.
もともと、全く違う内容の構成を考えていたのに、書いているうちに、すっかり方向性が変わってしまったため、慌ててタイトルを修正。
そんな日もあるよね。
今日本当に書こうとしていたことは、近々アップデートして載せることとします。
おしまい。