Dear grandma ~ 彼女の本名をわたしは知らない ~
わたしには、もう一人のおばあちゃんがいる。
地球を半周するほど、遠く離れたカナダ・トロントに住んでいる80歳のおばあちゃん。
留学していた頃、お借りしていたお宅に、ちょうどわたしと1週間違いくらいで転居してきたおばあちゃん。
出身は、フィリピン。
移民として、カナダに住んでウン十年、という経歴の持ち主。
そして、奇しくも同じお誕生日。
加えて旅好き。
若い頃は、旅行代理店を経営するほど旅を愛していたとか。
当時の影響か、今でも暇さえあれば、しょっちゅう仲間と世界中を旅している...らしい。
(資金繰りどうなっているんだろうか?)
わたしが、帰国後にヨーロッパをバックパッカーとして周遊していた時も、Facebookで現地の情報を更新する度に、よくメッセージをもらった。
「ここは、行ったことある。」とか、「ここはもっと素晴らしい!」とか。
ハイハイ、分かったわかった笑
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留学している頃、地下に部屋を借りており、わたしの部屋とグランマの部屋は隣同士だった。
そして、事件は起こる。
事件というほどではないが、
年寄りは、早寝早起き、というのは本当だった。
こちらは、深夜遅くまで明かりを煌々とつけながら、課題の提出に追われて勉強するのが週のうち最低何度かはあって、寝静まるのは大抵日が変わってからだった。
それにもかかわらず、毎日お構いなしで、早朝5時くらいから、けたたましいアラームとともに起き出し、コーヒーを淹れ、気分のいい時には、朝から鼻歌を通り越して、一人カラオケ大会を開催し、懐メロを披露する。そして、フィリピンにいる友人知人らとひっきりなしに国際電話、というのが日課になっていた。
物理的に、人と人とを隔てる壁一枚の薄さをあれほど無意味に感じたことはない。
こっちは、まだまだ起き上がるつもりなんてないし、静かにもうちっとゆっくり寝させてくれよぉ〜〜、と口には出せない我慢をしばらくはしていた(笑)
借り暮らしゆえ、肩身なんて狭いもんです。
ただ、良いところもちゃんとあって、
「メシちゃんと喰ったか〜。」と
気のないフリをしつつも、言い方はこんな感じでいつもお腹の心配はしてくれていた。笑
日常会話にせよ、留学したてのわたしにとって、フィリピン鈍りの英語は、当初は非常に聞き取りにくいものだった。
分かるまでこっちも引き返さないから、何度も聞き返すうちに「いい加減にせぃ!」とどちらかが笑い出して終わる。
「もうちょいハッキリ発音してよ、そもそもこれ英語なんかぃ!笑」
ひょっとして違う言語かも?と思っているうちにガマンが切れた方が、笑い出して終わる。
そんなやり取りを何度繰り返したことか。
(いつの日か、このブログが彼女にバレた日にはこの部分はテキトーに編集して伝えてもらいたい。笑)
それでも、わたしたちの間で言葉にならない会話は成立していたように思う。
えがおってえいごよりも大事ですよ ^ ^
”きっとこの世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔だと思う”
高橋優の歌詞を地でゆこうと思った。
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トロントは北米でも有数の極寒地域。
寒い冬の間、南国で生まれ育ったグランマはしばしの間フィリピンに帰省する。
春の兆しが少し感じられた頃にまた姿を見せるように帰ってきて、帰省土産の笹で包んだお餅のようなフィリピンの伝統菓子をどっさり持って帰ってきてくれたっけ。
「いっぱい食べろよ。まだまだ冷凍庫にたっくさんあるから。遠慮するな。学校にも持ってけ。」って。
急遽、帰国することになったことを告げた日も、嫌だと言っていちばんに泣いてくれたっけ。
体感-30℃を上回る寒さで、ホワイトアウトを起こしている時、どうしても行きたい用事があって外に出て行こうとしたら、危ないからやめとけと心から心配して止めてくれたりもしてくれた。
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「他人に興味のないはずのグランマが、Kahoのことは好きみたい。」
家族から、いつものツンデレな態度や気のない素振りからは想像も出来ない言葉を聞いた時は、ちょっと嬉しかった。笑
わたしが思うに、
グランマはね、寂しがり屋さんなんだよね。
本当は、かまってちゃんなだけ。
今でも、寂しさを紛らわすためにか、たま〜に、電話がかかってくる。
グ)次は、いつこっちに戻ってくるんだ?
私)多分一生、戻らないよ。笑 もう寒いの嫌だしさぁ。
グ)なんだそれ?
私)グランマが一生のお願いって言うなら、会いに行ってあげてもいいけどね〜。
どうせなら、セブで会おうよ?もうトロントはいい。笑
グ)セブがいいな。約束だぞ?
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いつも、こんな感じ。
若くして、孫を持ったせいか、グランマは孫にさえ”おばあちゃん”と呼ぶことを許さなかったらしい、と家族から聞いた。
ちなみに、わたしは何の疑問も抱かず、初対面から勝手に”グランマ”と呼ばせてもらっていた。
身内一同爆笑。
グランマもそんなわたしのことをおもしろがって余計な壁を取っ払ってくれたように思う。
わたしは小さい頃から、おじいちゃん子、おばあちゃん子として育ってきた。
すでに、実の両祖父母は亡くなってはいたが、グランマの存在は、わたしに再びおばあちゃんとの思い出を想起させるきっかけを作ってくれた。
留学してた日々は、楽しいことばかりか正直、辛いことのオンパレードで、今でも当時を思い出すたびに胸がエグられてしまう瞬間がある。
繊細すぎる心が図太くなるきっかけを与えてくれた、というと少々聞こえが良すぎて綺麗にまとめすぎだと思うので、正直のところわたしはそんな書き方はまだ出来ない。
ただ、出会うべくして出会ったもうひとつの家族の存在にわたしは心から感謝している。
癒しだった。
トロントの家族と過ごす時間は、わたしが語るよりも残された写真が証明してくれている。
いつか、MomやDadのことも書いてみようか。
みんなのことが大好きだ。
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Dear grandma,
See you someday, in Sebu.
salamat sa iyo(フィリピン語でありがとう)
Kaho