寝ても覚めても
今日でホイアンからダナンへ移動する。
短い滞在の間に自分好みのお気に入りを見つけては一途に通い続けた。
「CONG CAFE」もそのひとつ。
ベトナムコーヒーにはじまり、
乾いた喉をマンゴースムージーが何度癒やしてくれたことだろう。
ここの定位置を見つけて以来、いつも収まりよく座っては外の景色を眺めながら未来を想った。
よし、と意気込んで遅がけの今年の抱負を列挙したりもした。
一日のはじまりと終わりに前を通るたび笑いかけてくれたハイビスカス。
今まで、名前すらも知らなかった場所が数日慣れ親しんだだけで別れが惜しくなる。
ビジターとしてはじめて見た景色が次第に見慣れて日常の一部になりかけた頃にさよならを告げなければならないのは、旅の常だとしても毎回ちょっぴり悲しくなる。
同時に思った以上にこの田舎の景色が好きなんだなと気づいたりする。
それほどまでに好きにならせてくれてありがとう。
こちらが夜更かしをしていようとお構いなしで、「コッ、コケコッコー!」と元気よく鳴いて毎朝同じ時間に起こしてくれた近所のニワトリたちとも今日でしばらくお別れだ。
彼らの産みたてのたまごで“たまごかけご飯をする”という密かなわたしの企みはついに実行されることなく、次回に持ち越しとなったけれど、それもまたお楽しみとする。
おそらく、ここの再会もそう遠くないような気がした。
寝ても覚めても、暮らすように旅がしたいと言い続け、
新しい出会いがわたしを待ってくれていると信じ続け、
毎朝、ベッドで目覚める瞬間まだ異国にいる自分がうれしくてたまらなかった。
面白い景色を探して、余計な荷物も心配も全部置いてバックパックひとつで旅をする。
そうすることで必要なタイミングで必要な分だけ出会いと気づきが与えられてきたような気がする。
昔の自分が聞いたら、なんと答えるだろう?
すごい!
すごいやん!
って、多分言うんだろうな、と思うということは、思い描いた通りにはいかないこともあって、たまにまわり道もしてきて、今もまだ発展途上だけど、生きたい未来を生きれてるってことだと捉えていいような気がした。
これまでも弱気になったり、燃え尽きたり、時にしんどいことも数え上げればキリがないほどあったけど、全て無駄ではなかったんだ、とようやく思えるようになった今、何といってアドバイスしてほしいだろう?
先輩のわたし:「辛いことやしんどいこともあるけど、未来で笑っている自分がいるから負けるな!」
だろうか?
いや、
「他人の軸で100点取らなくていいから、75点でも自分らしく毎日楽しく生きれるってことに気づけたんだ」
かな。
なんとなくこっちの方が暫定ではあるがしっくりくるような気がする。
時間が解決してくれたことも多々あるけれど、とにかく自分は思っている以上に旅に救われているんだと繰り返し思えてならない。
完璧主義で頑なだった自分がどんどん柔らかく生きやすくなっていっているような気がする。
本当に感謝をしてもしきれないほどだ。
旅という名の人生のセラピーだ。
続く...