旅と時々、アファメーション

旅と時々、アファメーション

チキンだけど、冒険好き。

ブレない軸を持って、変容せよ。

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わたしには、そう簡単に変えることの出来ない信念がいくつかあります。

 

それは時に、人によっては、頑固だ。と感じられる部分でもあるでしょう。

 

分かりやすく言うと、

 

自分が心から大切にしているものを曲げてまで、他人に迎合したりすることが出来ません。

 

面白くない時に笑えません。笑

 

お世辞も、明確な意図を持たない見せかけのいいね、も大嫌いです。

 

本当にいいな、と思っていないのなら、押さないでくれ。

 

その代わり、良いものに出会ったときには、ボタンが陥没するくらい押させてほしい。

 

わたしという人間はそういう人間です。笑

 

そう。どこまでも、不器用です。

 

でも、自分をつくる要素のひとつなので譲りません。笑

 

そして、そういう自分であることは既に認めていることなのですが、

 

ある時、

 

自分が変わることで、状況がプラスに転換される可能性があるのなら、

 

全然変わるよ。むしろ喜んで。

 

と思えたことがあります。

 

たとえば、とっつきにくい印象を与えてしまったのならば、そんなしょーもないプライドやイメージは早くに捨ててしまおうとか。

 

話したいと思った人には、自分から声をかけにいこう、とか。

 

変なところで意固地になっても、自分が損をするだけ。

 

誰も得することはない以上に、むしろマイナスです。

 

そこを崩すことで、

 

コイツ、意外と面白いな。

 

もっと引き出しを見せてよ、と思ってもらえるなら本望です。

 

変わることを恐れない素直さだけは、いつも持っていたいなぁ、と思います。

 

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いつの頃からか、本当に好きな人とだけ付き合うことを意識して過ごしてきました。

 

”ことだけ”というと語弊がありますが、

 

明確な意図を持って、優先させていきました。

 

だから、今プライペートで付き合いがある人は、皆が心から好きな人だと胸を張って言い切ることが出来ます。

 

何を当たり前のことをw

 

そうなんです。

 

言葉にしてしまえば、ありふれた響きではありますが、昔の自分はそのシンプルな原理原則に気づけていませんでした。

 

中学生くらいの頃までの自分は、深海を浮遊しているクラゲのように、あっちへ流され、こっちへ流され...焦点が定まりませんでした。

 

その時々で好きなものを言い換え、態度を変えていたと言ってもいいでしょう。

 

これでは、ダメだな。

 

そこからが、スタートです。

 

スタートは、いつも幻滅する現実の中にあったりします。

 

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自分の余暇とも言える大切な時間を割いて向き合う人が、実は合わない好きではない人というのは虚しすぎると思うのです。

 

本当に好きな人とだけ付き合うことを意識してからは、周りが同じような意見・人生観・価値観を持った人で溢れていきました。

 

そこに、年齢や性別、国籍は関係ありません。

 

生まれも育ちも異なる国、言ってしまえば、地球を半周するくらい遥かに離れた距離にある国で生まれ、育っているのに、会って話しているうちに、その人の言葉の端々から、あぁ、この人とは各々が持った肩書きを越えて、魂レベルで繋がれるなぁ、と思ったことが何度もあります。

 

友達は多くはいりません。

 

本当に心から深く繋がる人がいれば、人数なんて限られていていいとさえ思っています。

 

だから、Facebookに代表されるSNSの名ばかりの友達やフォロワーが多い人たちを羨ましいと思ったこともありません。

 

現実世界でも、大切な時間を使ってお洒落して出掛けて行って、これからはじまる時間が行く前からテンションの下がるもの、だというのは、虚しすぎると思うのです。

 

自分に恥ずかしくて顔向け出来ません。

 

そういう時は、心ここにあらず状態で、大抵相槌マシーンになって、会話の迅速な切り上げ方とか、この後何しよう、とか、思考は、別次元を彷徨っているものです。

 

ご多分に漏れず、自分もそういう経験があります。

 

でも、ふと変えてしまえるものなら、いくらでも変えられる、と思いました。

 

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結局、社会のその他大勢の人は意見を述べるだけ述べて、一見正しいそうなことをつぶやいて去っていくだけです。

 

みんな自分が辿ってきた道のりを肯定したいに決まっています。

 

自分の経験を正当化したいと思っています。

 

誰も本当の意味で自分の人生を変えてはくれません。

 

冷酷なようですが、無視する、振り切る意思も時には大事かな、と思っています。

 

極論、その人のために自分が生きてる訳ではないので、迎合する必要がありません。

 

相手に尽くしてしまう癖がついている頃の自分は、それに気づけていませんでした。

 

今も完全にはなくなっていません。

 

だから、嫌われてもいい、とは言い切ることが出来ません。

 

人間である以上、好かれたいです。

 

好きだと、ストレートに言ってもらう方が嬉しいに決まっています。

 

ズルい人間ですね。

 

でも、こればっかりは、性格でもあるので、ある意味認めて、一生付き合っていかないといけないなぁと思っているくらいです。

 

それくらいでいいのです。

 

それも自分をつくる要素のひとつです。

 

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かつて、

 

”やさしさだけが取り柄の男なんて掃いて捨てるほどいる、ブレない強さが必要なんだよ”

 

と吐き捨てた他人がいました。

 

たしかにな。

 

と、グゥの根も出ませんでした。

 

わたしは女性ですが、後に、この言葉は自らを省みる言葉になりました。

 

ブレない。は、時と場合によっては、頑固や意固地とも言い換えることもできます。

 

行き過ぎると見ていてしんどいし、大人気ないです。

 

だから、ブレない軸を持ちつつも、いつも変容できることを強みにしたいな、と。

 

繰り返し思っていた感情をようやく言葉にすることが出来ました。

 

自分の軸をしっかり持った上で、人の話を聞くと、その軸にしたがって取り入れるに値するもの、とそうでないものとを区別できます。

 

他人のアドバイスがボヤけた輪郭をクッキリさせてくれることもあります。

 

モヤモヤを分かりやすい言葉で導いてくれることもあるでしょう。

 

他人のアドバイスが身に入れば、自分という人間に幅が出来、そこに多様性が生まれます。

 

まずは、耳を傾ける。

 

自分の軸があるからこそ、安心して人の話が聞けるんです。

 

そして、たくさんの情報から自分に必要なものだけを選んで取り込んでいきます。

 

繰り返しになりますが、自分に必要なものだけです。

 

選ぶ基準はいつも自分の中にある軸です。

 

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目指しているのは、柳のようにしなやかな女性。

 

いつの日か、なれるといいなと思って生きています。

 

きっとね。