Think right 〜仮説を立てることは、思い込みを育てるってこと?〜
最近読んだ本の中に、
「お気に入りを殺せ。」
...と、控えめに言って強烈な一言が書かれていました。
えっ、どゆこと?
(よくあるビジネス書なんかとは、一線を画しているではないか...)
と思ってしまいました。
わたしは先日、沖縄行きの飛行機に乗っている時にこのフレーズに出会ってしまい、これから見るであろう美しい海と空、流れる景色も、独特のゆるさも、ちんすこうも、おばあの笑顔も全部かなぐり捨てなきゃならないのか...と憂鬱になってしまいました。
(いや、そういうことではないやろw)
さらに、読み進めると
自分の好きな考えや言葉こそ、手放した方がいい。
あいまいな仮説ほど、確証のワナにハマりやすい。
”確証のワナ“
何それおいしいの?と思った方、仲良くなれるかもしれません。
ここでの確証のワナとは、人間は自分の持っている考えと正しい証拠を常に探そうとする生き物だから、と述べられています。
ふむふむ。
なるほど、それは一理あるな、と思いました。
「反対の証拠」をフィルターにかけて取り除き、
「自分の考えが正しいことを証明する情報」ばかりを手に入れようとする。
つまり、反対の意見をわざわざ見つけにいかない、ということだそうです。
事があいまいであればあるほど、この「確証のワナ」が生じやすいのだそうです。
しばしば、あいまいな仮説を立て、それに準じる2、3の「証拠」を書き足して、さもそれが正しいと思い込もうとする。
「反対の証拠」を掘り起こす努力はしない、ということです。
今やインターネットやSNSを駆使すれば、自分と考えが同じ人と簡単につながることが出来ます。
自分の主張や意見が正しいことを証明してくれる、また後ろ盾になってくれるようなブログ、ツイートを見つけることは簡単に出来てしまいます。
時にシェアなどして、気づけば知らず知らずのうちに脳に刷り込む作業をしている時もあります。
しかし、「反対意見」は自分が進んで集めようとしない限り、全く映らないような仕組み、メカニズムがあるというのです。
わたしたちは、こうして情報をフィルターにかけ、ますます偏った情報ばかりを集めるようになり、自分と同じ考えをもつ人々の集団の中で行動するようになってきている。
とまで書いてあるではありませんか。
こうした状況を”問題”だと考えるのにはどうしたらよいのか?
敢えて、”問題”と書きました。
これまで、わたしはそれを”問題”としてさえ捉えていなかったのです。
筆者は続いて、こう書いています。
自分の考えを書き出せ。
そして、「反対の証拠」を探してみよう。
「お気に入りの考え」を消し去るのはつらい作業だ。
しかし、教養のあるあなたなら、それを避けては通れない。
「…。」
いや、出来たらすごいでしょ?笑
大した教養もなく、頑固なわたしには、なかなかハードルが高めな課題を突きつけられたような気がしました。
でも、考えを深めるきっかけにはなった、とその時はパタッと、本を閉じました。
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わたしはこれまで、自分の直感を信じて生きてきました。
仕事、人間関係、好きなもの...
何もかも意思決定の最高指揮官は自分の”心”でした。
見方によっては、とてつもなく気分屋に映るでしょう。
だって、あれもこれもたくさんの人の意見や考えを取り込もうとすれば、揺さぶられるやん。(本音です)
直感に従ったからこそ、今がある。
そう思えることは数え上げるとキリがありません。
でも、最近これは正しい直感なのか、
はたまた
単なる過去の経験則に基づく思い込みなのか、
どっちなんだろう?と考える瞬間がありました。
”察しが良すぎる”
これは、わたしが他者からいただく褒め言葉でもあり、わたしにとっては時に弊害となり得る言葉でもあります。
相手は、こう考えているんじゃないのか?と仮説を立てて、
それがさも正解であるように思い込みを育ててしまいます。
実際のところ、”あなた”は”わたし”ではないので、結論、聞いてみないと分からないのですが。
聞けないから、いや、聞かないからこそ、察するということをしてきました。
でも、最近、先回りをして考えてしまう癖は、意識して取り除いた方がいい場面もある、と気づかされることがありました。
ここのところは、まだまだわたしにはまだまだ掘り下げる余地がありそうです。
耳に痛いことですが、分からないなりに、考えることだけはやめないように行動し続けていこうと思います。
それが出来れば、また違った景色が見えてくるのかな、と思っています。
どうでしょう?今回の内容、ちょっと堅めな内容になってしまいました。
でも、わたしはシンプルにあなたの考えが知りたいのです。
◆Think right 誤った先入観を捨て、よりよい選択をするための思考法