連れて帰っても、いいですか?
器が好きだ。
いつの頃からか、気づけば手に馴染むものを求めはじめていた。
”待っててくれたんか”
自分には決して出来ない丁寧な手仕事、
カチッとパズルのピースがハマるようにしっくりくるセンスと緻密な作業によって作られた唯一無二の世界観。
丁寧な仕事でつくられた作品を見るとお財布事情と相談しつつも、ついつい連れて帰ってきたくなる。
物はあまり買わない方だけど、ひとめぼれしたなら話は別だ。
あぁ、自分はこの子たちと過ごす時間を買ったな、って。
作家さんのつくった、作品を毎日大事に使わせてもらう。
数年前まで人並みに好きなブランドにお金を投下していた時期もあったけれど、器に限らず、小物やアクセサリーも最近は手づくりのものが増えてきた。
もっと紹介したい、とかもっとスポットライトが当たるべきだ、というよりかは自分が身につけたり使ったりしているうちに、あっ、それいいやん、と言ってくれる人の輪で自然に広まっていたりすると嬉しいし、ふと分かり合えるもの同士の心地良さが存在する。
名もなきコレクターだ。
透かせば、差し向かいで食べている人の顔がくっきりと見渡せるほど綺麗な薄張りのグラス
白地のマットな質感に、控えめだが手の窪みに馴染むような工夫と細部の絵付けのアクセントが効いている、酒盃
お気に入りを挙げるとキリがない。
たったひとつ言えることは、大量生産、大量消費にみる世界では決して生み出されることはなかったはずの作品たちなんだ。
"普段使い"には、もっと普段使いのもんを使ったらどう?
ヤ○ザキパンの春のパン祭りの器をこよなく愛する父とはいつも何かと対立している。
普段使い、なんて言ってたら、よそゆきの出番なんてぜったいこないはずなんだ。
とびっきりのものを使うと背筋も伸びるし、大切なものというのはそっとやさしく触りたくなるでしょう?
別に割れても代わりはいくらでもいるからとガシャンと扱うことを許したら、そりゃあ誰が使っても欠けるでしょ。
物にもぜったいに感情はあるはずだと思っている。
今日も他のものが綺麗に映えるようにそこにいてくれてありがとう。
そんな気持ちを添えて、扱っては綺麗にして、決して広いとは言えない定位置に戻している。
自分がこの家を出ることになっても一緒に引っ越したい。
これからの人生の時間も一緒に彩ってほしい。
そんな器たちに出合えて幸せだ。
それらを自分と同じくらい愛おしく思ってくれる人となら、暮らせるだろうか。