真似たとて
先日、自身のクリエイターとしての一歩を踏み出すポートフォリオサイトが無事に完成した。
#今日の積み上げ
— かほ@独学からWeb系フリーランス🌎👩💻✍️ (@reborntobefree1) 2020年6月13日
\ ポートフォリオが完成 /
長い一日が終わった…😇
薄目で見ていただけると幸いです🙈
明日、公開しよ👩💻
それから、ブログがちょうど50記事でした🙌https://t.co/6Yzv7UmJtW#駆け出しエンジニアと繋がりたい pic.twitter.com/7bD7DTx2iH
◆わたしのポートフォリオサイトはこちら ▶︎ https://webstudio-kaho.com/
限られた時間の中で、こだわりが強く、妥協できない自分の性格と闘いながら、今の自分に出せる100%を注ぎ込んでつくった思い入れの強いサイトだ。
完璧ではない、ただこのサイトもこれから成長する自分と同じ歩みで育てていけたらいい、と一旦世の中に出してみることにした。
嬉々として、SNSに投稿したところ、身に余るようなお言葉をいただき、大変光栄で嬉しくなった。
そして、時は流れ、ふと見ていたタイムラインに、わたしのことをフォローしてたまにコメントをくれる人がつくったポートフォリオサイトが流れてきた。
何故見ようと思ったのかは分からないが、不意にページをクリックした先に、デジャヴを超える、既視感で溢れた世界が広がっていた。
心境としては、
「これわたしのサイトやん...」
異なるのは、文章の中身と写真などで、作品や文字のレイアウトから、表現、実装方法に至るまで酷似していた。
シンクロニシティ、と呼ぶには話がうまく行き過ぎている。
仮に、芸術の世界は、パクリパクられるのはこの世の常だと人並みに心得ていても、
パクられるのは素晴らしいからに過ぎない、と諭されたとしても、
そんな器のデカさは、正直のところまだ完全には持ち合わせていない。
腹立たしさを超えて、ちょっと本気で気持ちが悪くなってしまった...。
ウゲって。
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待てよ、と。
もしや、自分のひとりよがりかもしれない、と思って、
身近でいちばん信頼のおける母にそっと連絡して聞いてみた。
すると寸分の隙もなく、彼女も同感で、わたしよりも憤っているところは態度から伝わってきた。
母が怒る分、わたしは怒らずにいられたのかもしれない。笑
どうせパクるなら、もっと自分のオリジナリティを出して、パクったなんて悟られないようにうまくやればいいのに...本音だった。
「真似たでしょ?」
なんて証拠のない子どもみたいなことは言わない、
代わりに、いくつか目立った誤字脱字に関しても伝えないと決めた。
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文章
写真
デザイン...
この世に全くの0から新たに生み出されるものなんて正直ない、と思っている。
全ては、今あるものの掛け算。
みんなが違うバックボーンと価値観を持ち、二つとない時間を生きているからこそ、生み出されるプロダクトに愛を感じたり、自分にはない凄さをまざまざと見せつけられる。
あぁ、いいなぁ。溜め息が出るほど美しく映るのだ。
等身大の自分の、自分にしか出せないオリジナルさ。
たとえ、それが青かったとしても...愛おしいではないか。
文章だってそう。
だから、誰かの解答や自己啓発本やビジネス書に書いてあるような、いかにも、な内容の一部を丸パクリして話したり、書いたりしようものなら、すぐに気づかれるだろう。
仮に一度や二度同じように模倣が出来たとしても、二度目はないのだ。
すぐに付け焼き刃であることがバレてしまうだろう。
わたしは、そんな薄っぺらい人間には、死んでもなりたくない。