グレーに生きる。
幸か不幸か、オールオアナッシングの世界に生まれたわたしは、
世の中は、
0か100か、白か黒か、
みたいな二極化でしか物事を見られない期間を長く過ごしてきた...。
それが近頃はどうしてか、
グレーもいいよね、と素直に言えるようになってきた。
そういう二軸じゃないわと。
世の中はもっとグラデーションが効いているはずだ、と。
どうしてだろう。
しばしゆっくりと考えてみた。
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答えなんて分からない。笑
そういう気持ちにさせる爆発的な何かが起こった、という明確なエピソードを持ち合わせている訳でもない。
強いて言うならば、旅をしていろんな国のいろんな方の価値観に多く触れたということはやはり大きいのだな、と思う。
答えを出さないといけないと思うとしんどい。
探すから見つからないんだよ。
古い歌の歌詞にもあるが、いや、本当にその通りである。
答えが分からない、でもいいや。
いつか分かるときがくるだろう、という感じ。
5年後、10年後どうなっているかなんてまるで分からない。
今の現実もこれまでの自分が向き合ってきた結果だ。
それなら、今精一杯できることやろうや。
それしかないよね。
どうせ、今この瞬間しか生きれないんだし。
憂いや迷いも何も自分だけが持ってるんじゃなくて、
皆分からないなりに愉しみ、時に苦しみながら前に進んでるはず。
どの世界を切り取って見ようとするかのチャンネルは自分で選んだらいいんだよ。
ないなら、つくろうか。
違ったら、また変えてみればいいんだし。
みたいな。
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いつ何時どんな偶然が重なって何がスパークするかも分からないし、あまり決めきらずにはいようと思っている。
振れ幅が大きいほど消耗はするだろうから、常に今やってることの延長線上であってほしいな、程度には思うけれど。
ちょっと課題を先延ばしにした感じは否めないが、それでも本人はいいと思っている。
白黒ハッキリつけないことに意味があるように、感じるほどになったのだ。
自分なりのゴール、定義ってめっちゃ大事やな。
嫌でも分かる時がくるよ。
そんな感じで、いずれ分かる時がくるまで、グルーに染めておこう。
心のパレットに、あたらしい色の絵の具が加えられたような瞬間を味わった。
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わたしは頭の柔らかい人がとても好きだ。
つまり、ここでの頭の柔らかさとは、固定概念とか自身の枠組みで括らない人、頭ごなしにジャッジをしない人ということにしておこう。
そう言えば、頭の柔らかい人は、みなグレーに価値を置いている良識のある大人だった。
だからこそ、極端なわたしもぬくぬくの世界に迎え入れてもらったのかな。
今、まさにわたしが子どもでどんな大人になりたいですか、と尋ねられようものなら、アンサーは迷うことなく、頭の柔らかい人だ。