焦点
写真が好きだ。
撮るのも、素敵な誰かの世界観に浸るのも。
ハタチくらいの頃から、これまでずっと独学で追いかけてきた趣味のひとつだ。
誰に習うでも、手取り足取り教えてもらうでもなく、好きなカメラを買って、いろんな写真を見て感じて、自分の好きな世界を好奇心の赴くままに、まず撮ってみたらいいんですよ、とは好きな写真家さんの言葉である。
みんな答え求めすぎ。
そんな風に撮ってても、愉しくないでしょ?
激しく同意した...。
ほんとうに心からその通りだと思う。
こうでなければならないという無意識のうちに作り上げた正と解の枠の外側の世界を生きるとめちゃくちゃ楽だ。
取るに足りない自分自身の人としての微々たる成長と二人三脚で、わたしのカメラの世界観も一緒に育っていってる気がする。
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”被写体から背景に至るまで、見えてる全ての世界をこの手の中に収めようとするな”
ある時、そんな声が聞こえてくる瞬間があった。
ぜんぶ撮ろうとするなよ。
一番好きな見たい世界を絞れよ。
たしか、そんな感じだったように思う。
全てを満たそうとするな。
ボケたような印象を与えるから。
発信にしてもそう。
全ての人に響かなくていい、ちゃんと届く人に届いていたら本望だと、これはブログをはじめた頃から思い続けていること。
届ける人を限定する。
自分が全ての人の価値観に共感できないのと同じで、受取手にも選ぶ権利はあると思う。
だからこそだ。
自分は、弱い人間だから嫌われたくない。
でも、全ての人に好かれなくていいや、とは思っている。
だから、好きでいてもらえるなら、上っ面だけじゃなくて、心から愛してほしい。
それもエゴだと知りつつも、わたしの心がそう言っているのだから仕方がない。
生き方にしてもそう。
自分の軸を持てよ。
自分の好きにフォーカスするんやで。
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視座を高めつつ、焦点だけはちゃんと絞っていこうと思う。
このバランスが今の自分には、いちばんしっくりくる答えだ。
そうして、等身大の自分にしか出せない世界観をクリエイトして唯一無二になれたら、最高じゃないか。