diary -日常をストーリーに出来るか-
ブログを書くようになってから、
生活の中で些細なことにも思考を深めるようになった。
他人からすれば取るに足らないようなことでも、自分にとって大切な気づきであればメモにとっておく。
急いでいる時は、携帯のメモアプリに荒っぽく思いついたキーワードだけでも打っておく。
あとで振り返った時に、そこからブログに派生することも多い。
本当に、毎日が気づきの連続になった。
四六時中、コンテンツについて息を吸って吐くように考えていたり、
あれやこれやと切っては貼るような作業を頭の中で繰り広げたりしている。
時には、夢の中でも考えていたりする。
楽しい。
感情がうまくまとまっていかない時、もがきながら、それでも言葉にしようとすると自然と苦が楽に変わっていく...
嫌なことや消化できないこともブログに書けばいいか、と無駄に怒らなくなったことも好転作用のひとつと言えるかもしれない。
わたしは、芸人でもYouTuberでもないので、
気をてらったり、盛る必要は全くなく
淡々と等身大の毎日の気づきや想いを綴る、
それだけです。
ブログ=公開日記?
これまで個人の日記として書いていたものが、書く場所つまりプラットフォームが変わっただけなので、いつも誰かに向けて書いているようで、一番は自分に向けて書いている部分が多かったりします。
(でなきゃ、若造が世の中に対して偉そうなことを綴っていることへの辻褄が合いません...。)
昔に読んだ本や出会った人の文章...
もちろん現在進行形でインスパイアされているものも多くあるけれど、
過去に、この人は文章の申し子だな、と思う程、文章がうまい人の文章に触れて感動して、自分も少しでも近づきたい、としたストレートで純粋な想いがブログを続けるエネルギーになり、活力を与えています。
忘れられない衝撃みたいなものが今もずっと心のなかに残っていて
映画なんかと同じように大好きな作品として、心に刻まれている。
先人たちに、最高のオマージュを込めて、わたしもなるべく自分の言葉で背伸びしたりせず、等身大の自分になって書いてみようと書き続けていた当ブログも気づいたら、100記事にまもなく到達しようとしています。
たくさんの愛を持って育てています。
今年の2月に恐るおそるスタートした時は、長い物で1記事2000〜3000文字を書き上げて、それを推敲して公開するのに5.6時間かかっていたものが、
ここ最近は、小1時間で書けるようになりました。
継続してきたことのご褒美が時短というスキルで遅れてやってきたようです。
嬉々。
実は、パソコンの前に座る時間なんて知れていて、
ほとんどは、散歩したり、ご飯をつくったり、コーヒーを淹れたりしている時間に
どこかから言葉が降ってきて、
それを切ったり貼ったり
レゴつくる少年のような楽しさを持ってやっています。
日常の全てがコンテンツになり得る要素を持っているという気づきも得られました。
”百点級の面白いネタがあったから、書くぞ!”
(素晴らしい!)
...もいいのですが、面白いネタなんてそうそうない訳です。笑
せいぜい30点くらいのネタしか転がっていないんじゃないかというのが本音かと。
役に立つかは別として、日々いろんな角度から物事を見ていくといろんな気づきがあって、つまり自然と書くネタになるというのは、ブログをやったからこそ得られた気づきでした。
ネットの世界なんかでは
よくブログを続けていたら、
文章力が上がる、とか上がった、とか
言ったりする人がいるけれど、
それって他人が判断するもんじゃないの?とわたしは思います。
少なくとも、自分では上がったなんて分からないというのが正直なところです。
そもそも文章力が上がる、って何(笑)
文章が上手いってこと?
人の心が動かせるってこと?
伝えたいことが伝えたい相手に届くってこと?
.
.
それって、自分で分かんのか、と。
自分で言ってる時点でハズいわ、と私なら思います。
個人の主観の問題ですかね。
.
.
そんなことよりも問題を定義して哲学する力が育まれたように思っています。
Whyの深堀りじゃないですけど、自分が見たり感じたりしたことをこれってどうなんだろう?と思考を深めていきます。
時に、答えが出たり、出なかったり。
答えを導き出すことが目的ではなく、思考を深め自分の考えを明確にすることが目的なので、答え合わせは、まだ先でいい、と思っています。
正解は、きっとその時の自分の置かれた状況によって変わるだろうし。
わたしは文章力が上がった、とかはたぶん一生書かないと思いますが、今日も言論の自由のもと、書きたいことを書かせていただいて、ここまで読んでくださりありがとうございます(...と言いたい)
という訳で…
(どういう訳で)
今日も一方通行であれだけど、
「寝れない夜に読んだら、安心して寝れたよー」とか
「こころがやさしくなれた」とコメントをくださる方
わたしはそんな有難いコメントを栄養に、今日も筆を執る、あらためキーボードを叩いています。
感謝。