正しさの先にあるもの
今年の2月に、
京都から東京へ向かう夜行バスの中で煮詰まらない想いを抱える出来事があった。
日付が変わろうとする頃に京都を出発したバスは、深まりを見せる夜の中に消える。
こちとら、夜行バスなど何年振り?という程に久しぶりで
程よい緊張と居心地の悪さを覚えながら、
前後左右との距離を適切に取りつつ、
「シートを倒してもいいですか?」と聞かれれば、
あぁ、ここは丁寧な国、日本だった、と思い出し、どうぞと努めてニッコリ答える。
海外でシートを倒される時に、いいですか?なんて確認されたためしがない。
おかげで危うくコーヒーが溢れるところだったじゃないか!という事態を何度も経験しているうちに、慣れた。
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思いの外、寝られただろうか。
高速バスがトイレ休憩に立ち止まったサービスエリアで
わたしも気分転換に席を立ってバスを降りることにした。
深夜3.4時頃だったと思う。
飲み物を買うべく建物のなかに入っている売店(ここでは成城石井だった)を目指した。
レジにいるのは、気の弱そうな細身のおばちゃん。
飲み物を買おうと数あるラインナップを眺めているわたしの他にいるのは、数組のお客のみ。
そこへお世辞にも綺麗な身なりをした、とは言い難い初老の男性が歩いてきた。
もしかしてホームレスなの?と思ってしまう自分がいた。
背格好はかなり小さくどうやら足が悪いのか、
左足だけ不自然に引きずるような歩き方をしている。
その”オッサン”は菓子パンと思しきものをお腹の辺りにいくつか抱えていた。
どう見ても不自然な感じがしてならない。
えっ、レジ済ませてないやん...
案の定、未払いの商品を持ち逃げする瞬間だった。
オッサンが一歩二歩、後退る、
わたしの横目が無意識に不審な行動を捉え、オッサンの方を向く…
(レジのおばちゃんからは死角にあたる位置にあった)
私の目に気づいたオッサンが、何事もなかったかのようにスッとした顔でまるで雑誌を眺めて立っているような演技をし出した
(んな訳ないやろう、バレてんで...)
ここから、オッサンとわたしとの攻防がはじまった。
私たちの間を取り持つ距離は、せいぜい10mくらいだろうか。
オッサンが半歩前へ出る...
わたしがチラリと目をやる...
オッサンが一歩後ずさる(何もおかしなことしてへんで、と言わんばかりに)
わたしが前を向く(フリをする)
オッサンが数歩歩みを進める...
わたしがチラリと目をやる...
オッサンが一歩後ろに下がる(いや、なんもしてへんて)
わたしが前を向く(嘘つけ...)
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(以下、同文)
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結局、二歩くらいしか進んでいない。
それは、まるで子供の頃にした”ダルマさんが転んだ”の遊びのようだった。
我ながら、何をやっているんだ、笑 とツッコミたくなったが、
なんというか、途中でもういいや、と思えてきた。
ついぞ、見なかったことにしようと決めた。
そしてその場は、オッサンの勝ち?となった。
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仮に、レジ番の女性が”ラピュタのドーラ”のような肝っ玉母さんなら、話は違っていたかもしれない。
あの人、ちょっと変かもです...
そう言って助けを求めたかもしれない。
しかし、事実は違ったのです。
今ここでわたしがチクったところで誰も得はしない、
仮にチクったとて、
オッサンのお腹は満たされることはなく、
挙句の果てに、おばちゃんは慌てふためき、
(もしかすると、泡を吹くかもしれない...)
加えてわたしもあんまりうれしくない...
ひとりの人間の偏った正義感を誇る、勘違いした自分が爆誕するだけだと思った。
そうして、わたしはゆっくりと会計を済ませていない菓子パンを持ち去るオッサンの後ろ姿を見送った。
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日本人は、ジェネラルにきちんとした人が多いから、社会の構造的に一人でもモラルに反していると許せない、といった理由で正義を振りかざす人が多いように思う。
自分にもそういう部分は少なからずあるかもだ...
いや正確には前はもっとあったのかもしれない...
でも、大抵は自己満ではないだろうか。
あなたのために言ってるのよ、は、
わたしが許せないからです、と同義だと思っている。
しかし、旅に出てみて随分と捉え方が変わったように思う。
正義云々ではなく、
自分が踏み込んだところで分からない
他人には、他人の事情とか理由があるよね。
と思うようになったというか。
あまりよく分からない他人に興味を示さなくなった...かもしれない。
旅をしていると多様性を受け入れざるを得ない事件が起こりまくる。
時に心揺さぶられ、それでも旅を続けているうちに、小さい頃から知らずしらずのうちに植え付けられていたであろう、日本人の日本人による、日本人ためのアイデンティが徐々に崩壊されていった(ように思う)
「今日はダメだよ」と
その日の検察の気分で取締りが強くなったり、弱くなったり
海外で通常起こり得ない事態に遭遇しまくると、
”常識”とか”フツウ”ってなんやねん、と思わざるを得なくなる。
いちいち怒っていてもはじまらないし、
受け入れつつも、受け流さないことには前には進めない。
オールオッケーとはいかなくとも、
特別何事も起こらない日も、それだけで、ここにいられただけで有難い、と思えるようにもなった。
何が正解で、何が間違っているかなんて...
分からない...
それでも、考える事だけはやめなかった。
毎晩日記に書く題材には、事欠かなかった。
起こる出来事に自分ならこういった折り合いをつける。
こういう意味づけを施す、ということを分からないなりに繰り返していった。
だから、一人旅はひとりの人間を成長させてくれるのかな。
やっぱり、旅ってすごいと思う。
きっとこの先、結婚してもやめないだろうし、意図的にひとりになる時間は大切にしていきたいと思う。
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夜明けが近づく頃、オッサンは無事にここまで彼を乗せてきたであろう軽トラへと向かっていった。
助手席には、たしかもう一人乗っていたはず。
世の中には、
こんなところまで来て菓子パンを盗んで、
今日の生活を凌ぐ人がいる、
それで空腹は一時的には凌げても、
満たされることのない思いはきっと消えないでしょう。
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見なかったことにする —
この判断が正しかったのか否か、弱冠二十代のわたしには分かりません。
でも、いつも自分の見ている世界は、わたしというフィルターがかかって見ているのだ、という気持ちを忘れないようにしたいと思います。
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※さて、ここで問題です。
今日のブログでわたしは何回”オッサン”を連発したんでしょうか...
よりリアリティのある描写を心がけるため、”お爺様”と書くわけにもいかず、カクカクしかじか汚い言葉遣いをして参りましたことを謹んでここにお詫び申し上げます。