救い、救われているということ
言葉はブーメランのように、自分に跳ね返ってくる。
面白いくらいに。
当たり前だけど、只今発した自分の言葉を一番傍で聞いているのは、紛れもなくこの自分なのだ。
言葉だけではなく、行為そのものも同じだな。
分かってはいても、時々驚かされることがある。
あぁー…、わたしってこんなこと思ってるんだな。
心の奥底にしまってある夢や希望を思い出させてくれる瞬間がある。
この手の話題はしようと思ってもなかなか出来ず、意図とは裏腹に空振りすることもある。
でも、成り行きによっては、普段はしまっている宝箱からそんな気持ちをそっと取り出して語りたくなる瞬間が訪れたりする。
現在地の再確認のように、タイミングがぴたりと合致した時、気づけば本人もびっくり、熱くメンションしているのである。
人間は磁石のように影響を受けやすい生き物だから、時々立ち止まって自分の現在地を確認する作業をするといい。
時折、こうやって自分に言い聞かせている。
自分が今どの世界にいて、どんな景色を見ているのか、
誰の言葉に影響を受け、どんな風に変わろうとしているのか。
もっと、シンプルにどうなりたいのか。
世の中の偉人が自身の経験や気づきに基づいて得た言葉を発信し、それらを与えられるままキャッチして、考えなくても気づいたら感化されていて、自然に何かに没頭できる環境に身を置けることは素晴らしいことだとも思うし、ある意味幸せなのでいいのだが、時折そんな風に自身も埋没していく中で
ふと、
自分はどこに向かおうとしているんだろう?
ほんまにこっちでいいのかな?
という声が聞こえてくると、しみじみ考える時間を持ちたくなる。
急き、急かされ、忙しく生きる現代社会において、考えること、思考を深める時間はどうしても後回しにされてしまいがちだけど、実はとっても大事なこと、というのはもう多くの人が既に気づいているはず。
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いつの頃からか心の中に湧き上がった気持ちをそっとすくい取ることにしてきた。
無視したり、なかったことにするんじゃなくて、
ふーん。そうなんや。
って、とりあえず受けとめてみる。
どうしよう。
どうしたらいいんや。
どうするべきなんやろう。
っていうのはまたちょっとまた別次元の話で、
今自分はこう考えてるんやな、
という具合に気づきにのみフォーカスするのである。
悲しかったんか
嬉しかったんか
悔しかったんか...
こういう風になりたいんか
本当はこうしたいのか
ふんふん。
終わり。
全てを包括してしまえる神仏の境地にはほど遠く、出来た人間でもなんでもないので、大人になった今でもその時々で葛藤し感情に揺さぶられている。
でも、そんな自分も人間らしくていいやん、と少しずつ認めてあげられることができるようになってきた、ように思う。
心の声は、実際のところ、その時の気まぐれであることもあるし、何日も何回にも渡って聞こえてくる声というのは、やっぱり心が本心から求めていることであり、知らせようとしていることだから、その点についてはちゃんと掘り下げた方がいいだろうと思って、している。
自分を俯瞰してみる。
自分のものさしで図ることをやめてみる。
そして、そこから気づきがあることを知る。
それに気づけたら、自分が勝手に決めたタガをとりあえず外してみるよう心がけてみる。
そうは言っても、難しいんだなぁ、これが。
当たり前のことを当たり前のようにやるってほんとに難しい。
頭で考えて出来そうなことと、実際にやれることの間には、ベルリンの壁くらい厚く大きな隔たりがあったりするのだ。
でも、だからと言って知識だけ持ってて頭でっかちな人間にもなりたくない。
だからこそ、能動的に立ち止まり思考する時間を持つのだ。
答えが出る、とか出ない、とかはその時点においては別にどっちでもいい。
どんどん前に進んでたり、急成長したりしている人を見ると、自分と比較して、つい焦ってしまうけど、どんな人も葛藤しているはずだ、と思って
そして、そんな風に思うのも時には悪くないよ、と思って立ち止まっている。
考えることをやめない人生でありたい。
違うと思ったら、やめてみる、という選択。
盛り上がりに欠けることを続けるモチベーションが続かないのなら、一旦離れてみるという選択。
大いにアリだと思う。
全ては、諸行無常。
この世で変わらないものはない、という事だけが変わらないのだ。
知ってても人間は忘れちゃう生き物だから、時々このような気づきを自分に向けて書き記しておこう。
一見、人に向けて書いたり、人を救おうと発したりする言葉の中で救われているのは、案外自分なのかもしれないな、とはずっと思っていることだ。
100年後に自分の存在を覚えている人はいない。
ならば、生きている間だけでも、向き合う自分の心に素直に、その時々でご縁があって出会えた人の心の中にそっと手を差し伸べられる人間でありたい、と思う。
人はひとりじゃ生きてゆけない。
その真意は人を救うことで、自分も救われているような気持ちになれることかな、と付け加えて、終わりにする。