旅と時々、アファメーション

旅と時々、アファメーション

チキンだけど、冒険好き。

心付け

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マンゴーヨーグルト 49,000ドン(日本円換算:227円)

 

ホイアンからダナンへ移動してきた。

 

帰国のための飛行機は今夜遅くに出発予定。

 

なのでまだ半日は時間がある。

 

これからダナンを物見遊山という計画だ。

 

もうすっかりGrabの配車サービスを使ってバイクタクシーを掴まえることにも慣れてきた。毎回、とても親切なドライバーにあたり、目的地まで安心して乗っていられる。

 

ダナンに着いて出会ったドライバーの若い男の子は、こちらが観光客と分かっているからか、ベストビューが拝めるところなんかでは気持ちスピードを落としてゆっくり走行したりしてくれる。出会いと言っても、ほんの十数分の海岸沿いからカフェまでの移動距離を乗せてもらっただけだけれど、その短い時間の間にも彼なりのおもてなしを感じた。

 

実際、会話なんて生まれないし、”あうんの呼吸”というのが分かっているのか、まるでこちらの欲するところが分かるかのように、意図を上手に汲み取って走行してくれるあたり、工夫が見られて、単にお客さんを運んでいるのではないのだな、と感心してしまった。

 

今日、Grabではじめてチップを払った。

 

正確には、彼の工夫とサービスに対してである。

 

事前に料金を把握してクレカ決済を済ませてはあるけれど、降車後にドライバーの評価とともに必要に応じてチップを支払えるシステムになっている。

 

北米諸国をはじめ一部の国では、当たり前に存在するチップ制度。

 

率直に言って、わたしはチップ制度があまり好きではない。

 

それは、わたしが日本というチップのない国で生まれ育ったから、という事実は多分に影響しているだろうが、

 

理由は、とてもシンプルでチップをもらうためにサービスする、とかしない、とかそういう考え方が嫌いなのである。

 

例えば、アメリカでレストランに行った時、最初に「今日はわたしがこのテーブルを担当します」と紹介される。つまり、食事のはじまりから終わりまで彼女が全ての面倒を見てくれるということらしい。

 

しばらくして、いざ、必要な時にその彼女がいなくて近くの別のウェイトレスに声をかけても、わたしはここの担当ではないので、彼女に伝えてほしい、と断られてしまった。要するに、そこにはチップという因果関係が存在するから、別のテーブルの担当者は手伝うことが許されないということらしい。

 

全てがそうではないだろうし、たまたま運が悪かった、ただそれだけのことかもしれない。でも、わたしは何となく釈然としなかった。

 

本来のサービスの目的は、目の前の困っているお客さんを助けること、ではないのだろうか。

 

チップが関係するから、尽くす、とか尽くさない、とかそういうことが理解できない。

 

結果的にしばらくしてから、遅れてやってきたわたしたちのテーブルを担当する彼女が最終的には対応をしてくれたけれど、もう気持ち的にはすっかり冷めてしまった。

 

加えて、食事中

 

「味はどう?」「量は足りてる?」「〇〇はどう?」

「オールオーケー?」「パーフェクト?」

 

などと過度にサービス精神旺盛な態度で接したり、こちらの会話に何度も割り込むようにして、尋ねられることにうんざりしたことも何度もある。

残念ながら、わたしはすごくひねくれているので、チップをあてにお伺いを立てているようにしか、見えない...。

最終的に、高額のチップがもらえるかどうかはこちらの社会では個人の力量にかかっているようなところがあるので、食べ終わるまで、終わりなきお伺いは続くのである。

 

では、そのサービスはチップがもらえなければ、出し惜しみするものなのか...?と思ってしまう。

 

最低限のサービスはしてほしいところではあるけれど、もし、何かが足りていなかったり、余分に何かしてほしいようなことがあれば、こちらから申し出るのではないか...?食事中はある程度放っておいてほしい...というのが正直なところ。

 

チップという制度がある限り、いついかなる時もチップを求めて働くことが当たり前になってしまう。

 

当然、やりきった彼女は、意気揚々とチップがもらえることを期待して伝票を持ってくる。

 

「・・・。」

 

(だいぶズレてたけど。)

 

と思っても、そんなことは面と向かっては言えない。

 

もちろんチップという制度が存在するからといって、必ずしも払わなくてはいけない訳ではないが、払うことがスタンダードな社会で、すでにチップが払われる前提で受けたサービス、しかも先ほどから挙げているような特段求めていないサービスに対して払うのか...といった考え方をしてしまうのは否めない。

 

わたしは随分と性格がひねくれているだろうか。

 

もちろん、自分が働く側としてチップをもらえることは有難い制度だと思うけれど...そんな制度がなくても、自分は必要に応じて尽くせる人間でありたい、と思う。

 

同時にチップなんて求めずに、出来る限りを尽くしその人なりの心からのおもてなしをしてくれる店主などに出会うと必要以上に感動してしまう。

 

そういった時に、誰からも指図されることなく心付けを差し出したいと思う。

 

長々とチップについて書いてしまったが、これからダナンの物見遊山のはじまりはじまり~。

 

続く...

 

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