旅と時々、アファメーション

旅と時々、アファメーション

チキンだけど、冒険好き。

ライフハック〜人生を豊かにする読書術〜

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わたしは、本がとても好きです。

 

手にとった時の紙の手触りも、

 

お気に入りの表紙のデザインも、

 

整頓された書棚に背表紙が美しく並んでいる姿を眺める瞬間も

 

この上なく愛おしく感じてしまいます。

 

本は、友達。

 

そんなキャッチコピーが書店で並んでいるのを見て、まさにそうだなと思うのです。

 

どんな時も等身大の自分に合わせて、寄り添ってくれるかけがえのない人生の友です。

 

ありふれた表現になりますが、

 

本は、自分の見ている世界を拡げてくれます。

 

1冊、千円程度で新しい知見と無限の可能性を運んできてくれると思うと安上がりだなと心から思います。

 

これまでもピンときた本には、例外なく自己投資し続けてきました。

 

おっと、「紙」の本には、です。

 

昔から、紙の本が好きで、何なら本屋さんの匂いが好きで、気がつけば3、4時間一人で滞在していた、なんてこともザラにあります。

 

この感覚、「読書」は「趣味」を越えて、生活の一部として成り立っていると思ってらっしゃる人には伝わるでしょうか。

 

兎にも角にも、本が本当に大好きでたまらないのです。

 

そんな本好きのわたしですが、

 

数ヶ月前に心を揺さぶる事件が起こりました。

 

.

.

 

 

マコなり社長、の動画との出会い

 

わたしがビジネスパーソンとして尊敬している人の一人に、渋谷で社員500名規模のIT企業を営む、”マコなり社長”こと眞子就有(まこ ゆきなり)さんという方がいらっしゃいます。

 

マコなり社長は、自身でつけられた愛称です。

 

仕事の仕方や効率化、価値観、自分を追い込みストイックな姿勢で結果を出し続ける姿など様々な角度で学ばせてもらうことが多く、トークも面白いので大変勉強になります。

 

これから、どんな新しいことを手掛けていかれるんだろう、そんな期待を多くの人が向けたくなるような勢いを感じさせます。

 

そんな彼が、”人生の無駄をなくす、最強のアイテム”というタイトルで紹介していた1本の動画があります。

 

youtu.be

 

そこで、電子書籍Kindleについて紹介されていました。

 

11:07秒あたりから、電子書籍Kindleについて触れられています。

 

電子書籍Kindleでしょ?知ってるよ。」

 

と思ったあなた。

 

「何を今更あらためて取り上げているの?」と思ったことでしょう。

 

かく言う、わたしもその一人でした。

 

寝しなに本を読んで気づいたら、本もわたしもうつ伏せになって朝を迎える。。

 

そんな習性のあるわたしにとって、夜は極力ブルーライトを浴びたくない!

 

日中の仕事で散々パソコンを見続けているからこそ、夜くらいは紙の本で目を休めてあげたい。。と我想い、いたわる心こそが、Kindleをはじめ電子書籍に対する偏見であり、これまで遠ざけてきた理由でした。

 

しかし、勘違いでした、、。

 

Kindle Paperwhiteに関していうとブルーライトは一切(という表現ができるほど、)含まれていなかったのです!!!

衝撃でした。

 

そのロジックは、Kindle Paperwhiteという端末は紙のインクを使用して画面に文字を写し出しているから、なんですよね。

 

amzn.to

 

それ以来、欲しくてたまらなかったKindle

 

ついに、先日買ってしまいました。

 

 これは、控えめに言って人生を変えるほどの力を持ったデバイスだと。

 

ようやく念願叶ってデバイスを手にして2週間と立たないわたしが言うのだから、

 

そのポテンシャルたるや計り知れないと思うのです。

 

ちなみに端的に、メリットをまとめると

 

・持ち運びが便利、200g弱ととても軽量なのに数千冊も入る

ブルーライトを浴びなくていいので、目にやさしい上に高解像度

Kindle unlimited加入で200万冊以上の本・マンガ・雑誌・洋書読み放題

・ハイライト機能

・電池の持ちが異常にいい(一度充電すると数週間持つ)

・辞書機能、内蔵(本に出てきた知らない単語、ほったらかしにしてませんか?もう、分厚い広辞苑を手元に置いて開く必要はありません!)

・防水仕様

 

なかなかのハイスペックです。

 

ところで、気付きました?

 

ひとつだけ太字になっている箇所があるのを。

 

そう。

 

”ハイライト機能”

 

今日はここを特筆したい!!!

 

.

 

わたしの読書術

 

ここで話はそれるようですが、わたしの読書ルーティーンをお伝えします。

 

かれこれ10年くらい、つまり十代の後半から自分のことを”付箋魔”だと思っています。

 

付箋魔って?

 

本を綺麗に読みたい(後に売るかもしれないから)ので、折ったり書き込んだりすることはしないようにしているのですが、それでもここぞ、というポイントで大量に使うのは、

 

”ふせん”です。

 

そうあのポストイットです。

 

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読む度に新しい気づきがあった箇所に、それはもうたくさん貼っていきます。

 

”この表現、すごく刺さるしいい響きだなぁ”

 

”ここは、この間学んだことと掛け算してアウトプットしよう。”

 

みたいな感じで、アウトプット前提で読んでいます。

 

そうして、読み終わった後に、必ず付箋の箇所を辿ってまとめるという作業を続けてきました。

 

一旦通しで読む

 

 

気になった箇所に付箋を貼る

 

 

読了後に付箋の箇所をたどりオリジナルのノートやデジタルメモにまとめる

 

これで、ワンセットです。

 

わたしは本を図書館で借りて読むことも割とあるので、自分でまとめないと手元に何も残らないのです。

 

これまでは紙のノートやWord、メモアプリにまとめてきました。

 

そんなことをしなくても、

 

”頭の中にリソースは残ってるでしょ?”

 

甘いです。

 

人間はどんなにいい情報を手にしても、明日には忘れてしまう生き物です。

 

わたしは自慢ではありませんが、ニワトリ並の忘却力です、、。

 

だからこそ、まとめて忘れる。

 

メモして安心して一旦脳内をクリアにします。

 

仕組みで解決することを意図的にしてきました。

 

手間はかかりますが、そうして、できたオリジナルのメモ帳は、自分だけの宝物になります。

 

この読書法、はあちゅうさんが分かりやすく語ってくれています。

 

たまたま見つけたので貼っておきます。

 

  

youtu.be

 

 ちなみに、ライフハック、わたしが尊敬するスーパーエンジニアの方も取り入れておられます★

 

www.malanka.tech

 

ただ、唯一の欠点は、やはりまとめるのにそれなりに時間がかかることでした。

 

見やすくするための工夫をしているから当然と言えば当然ですが、単純に書き起こしたり、タイミピングする物理的な作業時間は取られてしまいます。

 

...が、救世主現るです。

 

真剣にやっていたら、誰か助けてくれるものです。

そう、Kindleです。

 

彼には、ハイライト機能という強みがあります。

 

※ハイライト機能とは、

 

簡単に言ってしまうと、本にペンでマーキングする機能のことです。

 

後に、データを一覧としてみたり、外部へエクスポートすることが出来るのです。(いやぁ、有難い)

 

ハイライト機能により、これまで自分がまとめるために書籍の文章をタイピングに当てていた時間を削減できます。

  

 まとめ

 

せっかく読むなら、実のある読み方をしていきましょう。

 

本は、自分で腑に落ちるまで咀嚼して実践できてこそ、はじめて意味をなし、読んだ価値があったと言い換えられると思います。

 

読むだけで人生が変わったら、、

 

実情は、そんなに甘くはない訳ですね。

   

効率化とは、端的に言うと時間をお金で買うことだと思っています。

 

父が昔、わたしが社会人になりたてくらいの頃に、社会人ならお金で時間を買いなさい。そうやって時間を買ってサービスを受けられることが学生と本質的に違うところなんじゃないの?と何気なく言ったのですが、

 

本当にその通りだなぁと思います。

 

紙には紙の、デジタルにはデジタルの良さ、というものがあります。

 

必ずしも、どちらかだけ、に絞らなくてもいいと思うんですよね。

 

やはり、紙の本の手触りやデザイン、本棚に背表紙が並んでいる姿なんかは、アートのように愛おしく感じるので、今後は長く手元に置いておきたい本は紙で、移動中やいわゆるビジネス書などサクッとエッセンスだけ吸収したい本は、デジタルにという風に自分の中にルールを設けて使い分けていこうかな、と思っています。

 

どんなに良いものも一長一短はあるものなので、自分がいちばんしっくりくる方法で心地よさを得て人生を豊かにしていきましょう。

 

.

.

 

 

個人的にKindleのデメリットを上げるとすれば、やはり読んだ後に売れないところでしょうか。。

 

誰もが一度は考え、購入を思い止まってしまうこちらの要素。

 

しかし、それもハイライト機能があることで、時間を買っていると思えば、わたしにとってはプラマイ、

 

プラスだ!と心から思えます。

 

(余談ですが、電子書籍の権利移譲ができるサービスなど開発してくださる頭の柔らかい方がいらっしゃいましたら、先行投資させていただきたいと思っております)

 

気になるお値段ですが、、

 

わたしは安いと思います。

 

今なら、端末に3ヶ月分の無料枠がついてきます。

 

しかも、毎月1,000円なので、1冊読めば元は簡単に取れちゃいます。

 

Amazonやりおる。。太っ腹なのです!!!

 

こればっかりは個人の主観かと思いますので、

 

ぜひリンク先でチェックしてみてください。

 

amzn.to

 

メリットをもう一度まとめておきます。

 

・持ち運びが便利、200g弱ととても軽量なのに数千冊も入る

ブルーライトを浴びなくていいので、目にやさしい上に高解像度

Kindle unlimited加入で200万冊以上の本・マンガ・雑誌・洋書読み放題

・ハイライト機能!!!

・電池の持ちが異常にいい(一度充電すると数週間持つ)

・辞書機能、内蔵(本に出てきた知らない単語、ほったらかしにしてませんか?もう、分厚い広辞苑を手元に置いて開く必要はありません!)

・防水仕様

  

おしまい★

正しさの先にあるもの

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今年の2月に、

 

京都から東京へ向かう夜行バスの中で煮詰まらない想いを抱える出来事があった。

 

日付が変わろうとする頃に京都を出発したバスは、深まりを見せる夜の中に消える。

 

こちとら、夜行バスなど何年振り?という程に久しぶりで

 

程よい緊張と居心地の悪さを覚えながら、

 

前後左右との距離を適切に取りつつ、

 

「シートを倒してもいいですか?」と聞かれれば、

 

あぁ、ここは丁寧な国、日本だった、と思い出し、どうぞと努めてニッコリ答える。

 

海外でシートを倒される時に、いいですか?なんて確認されたためしがない。

 

おかげで危うくコーヒーが溢れるところだったじゃないか!という事態を何度も経験しているうちに、慣れた。

 

.

.

 

思いの外、寝られただろうか。

 

高速バスがトイレ休憩に立ち止まったサービスエリアで

 

わたしも気分転換に席を立ってバスを降りることにした。

 

深夜3.4時頃だったと思う。

 

飲み物を買うべく建物のなかに入っている売店(ここでは成城石井だった)を目指した。

 

レジにいるのは、気の弱そうな細身のおばちゃん。

 

飲み物を買おうと数あるラインナップを眺めているわたしの他にいるのは、数組のお客のみ。

 

そこへお世辞にも綺麗な身なりをした、とは言い難い初老の男性が歩いてきた。

 

もしかしてホームレスなの?と思ってしまう自分がいた。

 

背格好はかなり小さくどうやら足が悪いのか、

 

左足だけ不自然に引きずるような歩き方をしている。

 

その”オッサン”は菓子パンと思しきものをお腹の辺りにいくつか抱えていた。

 

どう見ても不自然な感じがしてならない。

 

えっ、レジ済ませてないやん...

 

案の定、未払いの商品を持ち逃げする瞬間だった。

 

オッサンが一歩二歩、後退る、

 

わたしの横目が無意識に不審な行動を捉え、オッサンの方を向く…

 

(レジのおばちゃんからは死角にあたる位置にあった)

 

私の目に気づいたオッサンが、何事もなかったかのようにスッとした顔でまるで雑誌を眺めて立っているような演技をし出した

 

(んな訳ないやろう、バレてんで...)

 

ここから、オッサンとわたしとの攻防がはじまった。

 

私たちの間を取り持つ距離は、せいぜい10mくらいだろうか。

 

オッサンが半歩前へ出る...

 

わたしがチラリと目をやる...

 

オッサンが一歩後ずさる(何もおかしなことしてへんで、と言わんばかりに)

 

わたしが前を向く(フリをする)

 

オッサンが数歩歩みを進める...

 

わたしがチラリと目をやる...

 

オッサンが一歩後ろに下がる(いや、なんもしてへんて)

 

わたしが前を向く(嘘つけ...)

 

.

.

 

(以下、同文)

 

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.

 

結局、二歩くらいしか進んでいない。

 

それは、まるで子供の頃にした”ダルマさんが転んだ”の遊びのようだった。

 

我ながら、何をやっているんだ、笑 とツッコミたくなったが、

 

なんというか、途中でもういいや、と思えてきた。 

 

ついぞ、見なかったことにしようと決めた。

 

そしてその場は、オッサンの勝ち?となった。

 

.

.

 

仮に、レジ番の女性が”ラピュタのドーラ”のような肝っ玉母さんなら、話は違っていたかもしれない。

 

あの人、ちょっと変かもです...

 

そう言って助けを求めたかもしれない。

 

しかし、事実は違ったのです。

 

今ここでわたしがチクったところで誰も得はしない、

 

仮にチクったとて、

 

オッサンのお腹は満たされることはなく、

 

挙句の果てに、おばちゃんは慌てふためき、

 

(もしかすると、泡を吹くかもしれない...)

 

加えてわたしもあんまりうれしくない...

 

ひとりの人間の偏った正義感を誇る、勘違いした自分が爆誕するだけだと思った。

 

そうして、わたしはゆっくりと会計を済ませていない菓子パンを持ち去るオッサンの後ろ姿を見送った。

 

.

.

 

日本人は、ジェネラルにきちんとした人が多いから、社会の構造的に一人でもモラルに反していると許せない、といった理由で正義を振りかざす人が多いように思う。

 

自分にもそういう部分は少なからずあるかもだ...

 

いや正確には前はもっとあったのかもしれない...

 

でも、大抵は自己満ではないだろうか。

 

あなたのために言ってるのよ、は、

 

わたしが許せないからです、と同義だと思っている。

 

しかし、旅に出てみて随分と捉え方が変わったように思う。

 

正義云々ではなく、

 

自分が踏み込んだところで分からない

 

他人には、他人の事情とか理由があるよね。

 

と思うようになったというか。

 

あまりよく分からない他人に興味を示さなくなった...かもしれない。

 

旅をしていると多様性を受け入れざるを得ない事件が起こりまくる。

 

時に心揺さぶられ、それでも旅を続けているうちに、小さい頃から知らずしらずのうちに植え付けられていたであろう、日本人の日本人による、日本人ためのアイデンティが徐々に崩壊されていった(ように思う)

 

「今日はダメだよ」と

その日の検察の気分で取締りが強くなったり、弱くなったり

 

海外で通常起こり得ない事態に遭遇しまくると、

 

”常識”とか”フツウ”ってなんやねん、と思わざるを得なくなる。

 

いちいち怒っていてもはじまらないし、

 

受け入れつつも、受け流さないことには前には進めない。

 

オールオッケーとはいかなくとも、

 

特別何事も起こらない日も、それだけで、ここにいられただけで有難い、と思えるようにもなった。

 

何が正解で、何が間違っているかなんて...

 

分からない...

  

それでも、考える事だけはやめなかった。

 

毎晩日記に書く題材には、事欠かなかった。

 

起こる出来事に自分ならこういった折り合いをつける。

 

こういう意味づけを施す、ということを分からないなりに繰り返していった。

 

だから、一人旅はひとりの人間を成長させてくれるのかな。

 

やっぱり、旅ってすごいと思う。

 

きっとこの先、結婚してもやめないだろうし、意図的にひとりになる時間は大切にしていきたいと思う。

 

.

.

 

夜明けが近づく頃、オッサンは無事にここまで彼を乗せてきたであろう軽トラへと向かっていった。

 

助手席には、たしかもう一人乗っていたはず。

 

世の中には、

 

こんなところまで来て菓子パンを盗んで、

 

今日の生活を凌ぐ人がいる、

 

それで空腹は一時的には凌げても、

 

満たされることのない思いはきっと消えないでしょう。

 

.

.

 

見なかったことにする 

 

この判断が正しかったのか否か、弱冠二十代のわたしには分かりません。

 

でも、いつも自分の見ている世界は、わたしというフィルターがかかって見ているのだ、という気持ちを忘れないようにしたいと思います。

 

.

.

 

※さて、ここで問題です。

 

今日のブログでわたしは何回”オッサン”を連発したんでしょうか...

  

よりリアリティのある描写を心がけるため、”お爺様”と書くわけにもいかず、カクカクしかじか汚い言葉遣いをして参りましたことを謹んでここにお詫び申し上げます。

嘘は、バレる。

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嘘は、バレる。

 

その時は、騙せても

 

チョロいな、

 

そう思っているのは、自分だけかもしれない。

 

究極的にはバレているというのが、

 

本当のところではないだろうか?

 

人の嘘とかが分かってしまう、

 

良いのか、悪いのか分からない

 

時として、鋭過ぎる第六感や感受性の強さがはたらいてしまう、

 

自分の性格が何よりの逆説的な証明になっている。

 

.

.

 

新卒で入社した大手の出版社には、

 

天才的に仕事のできる”Sさん”という先輩がいて、

 

その人が幸か不幸か、教育係になった…。

 

失礼ながら、人選した上司を恨むほど

 

不幸だと思っていた、当時は。

 

革命的で、決して偉ぶらないが、確実に結果を出す。

 

業務効率化の鬼のようなお方だった。

 

高校ではインターハイに出場するほどの筋金入りの体育会系元・女子バレーボール部員だった。

 

自分の軸や意見をハッキリ持っていて、

 

役員や古株社員からの信頼も厚く、数値的な結果もきっちり出す。

 

そんな憧れいっぱいの最高な先輩のことが大嫌いで仕方なかった。

 

当時の私は、泣く子も黙るセンパイの姿に恐れ慄いていて

 

畏敬の念からかその人の目を見て話すことが躊躇われたほどだ。

 

話す度に怒られるんじゃないかと思って、声まで震えていた。

 

自分の存在が何度も役立たずのように思えて、

 

消えてしまいたい、と思うことも多々あった。

 

プライベートは別の顔を持つ彼女も

 

仕事となれば、妥協とか手抜きとか

 

一切の言い訳に通じる全ての甘さが通らない人だった。

 

自分の都合で1ミリでも妥協したレポートは見破られ、

 

指摘が入る。

 

その指摘というのが、すごく言い当てていて

 

ぐうの音も出ないほど、価値のあるものだった。

 

心が何度も限界に近づき、

 

退職届をいつでも出せるように準備しながら、

 

気がつけば数年の月日が流れていた。

  

神様は、いつも仏様の顔をしているとは、限らない。

 

鬼のような形相で怒られても

 

今なら、やさしく映る。笑

 

結果的に、成長させてもらえていた。

 

もうこれ以上ないくらいに感謝している。

 

後に、目を見て話せるようになったし、

 

怒られてばかりの日々がある日を境に認められていくようになって

 

逆に「これどうすんの?」って尋ねられたりした時には、

 

「えぇ?わたしが教えるんですか?」と

 

正直ちょっと気持ちが悪かった。笑

 

退職時には、ハグをするほどの仲までになった。

 

.

.

 

手を抜けば、そんな気持ちでつくった作品は相手に伝わってしまう。

 

相手も、大人だから手を抜いたでしょ?

 

なんてあからさまに言わなくとも

 

きっと、「馬鹿やろう、悟れよ。」

 

くらいには思っているかもしれない。

 

良い仕事をしない限り

 

そのツケは全部自分に返ってくる。

 

だからこそ、最高のコンディションで臨める環境に最課金する。

 

そして、いつもベストを尽くす。

 

いい加減な気持ちでやるなら、やらない方がマシだ。

 

テクニックに翻弄された薄っぺらい人間になるな。

 

無理があれば、それが自然と顔に出てしまう。

 

もっと自分のことを信じていい。

 

というか、信じられる行動をしていけばいい。

 

そうすれば、世間の操作された情報や嘘にも翻弄されなくて済む。

 

人間も動物だから、本能はある。

 

嘘は、バレる。

 

だからこそ、

 

嘘偽りない本当の自分で勝負できるようにする。

 

そのために、自分が努力できる、好きが溢れるフィールドにこだわり続けたいと思う。

良かれ、と思って?

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こちらから投げたボールの返事がなかなか返ってこなくて、

 

自分にとっては、さほどむずかしくないと思えた質問でも、

 

相手にとっては、熟考に値することなのかもしれない、と気に病んでいたら、

 

返ってきた答えが、

 

「なんでもいいです」

 

だった...

 

長らく時間があったはずだから、

 

きっと明快な答えが返ってくるだろう、というのは

 

こちらが相手に寄せた勝手な期待で

 

そんな期待は簡単にへし折られてしまうことはザラにある。

 

(わたしの思い悩んだ時間を返せ。)

 

なんでもいいです、と言う人に限って、意外とこだわるポイントが多いというか、究極的には何でも良くなかったりする。

 

もう一度書くが、本当になんでも良くなかったりする。

 

相手は、”良かれ”と思って

 

なんでもいい、と口にしているのだろうが、

 

その良かれ、は実は全然良くははたらいていないんじゃないか?と思わずにはいられなかった。

 

後からダメ出しやこだわりが募るのなら、

 

「なんで最初から言ってくれへんねん(激おこ)」という言葉は飲み込んだ、けれど。

 

それをある時、気の置けない友人に話していたら、

 

それは、「その人の基準の中で」という枕詞が隠されているよね、と言われてハッとした。

 

たしかに。

 

もう、言い得て妙すぎて、すべての辻褄が合致したような感覚に苛まれた。

 

.

.

 

当人が、良かれと思ってやっている行為は、

 

それは本当に相手のためになっているだろうか?

 

日本人は、とかく周りに合わせがちでハッキリと自分の意見を言う人、は

 

敬遠されてしまう風潮を感じる時がある。

 

ご多分に漏れず、わたしもその一人で

 

日本にいると言葉を飲み込む瞬間は割りに多いし、

 

一旦ここは様子見で黙っておこう、と策をめぐらしてしまうことだってある。

 

自らが生きづらい社会をつくり出しているな。

 

.

.

 

意見を言える人が”善”、言えない人が”悪”とかいう言葉そのままの意味の二軸の考え方をしたい訳ではない。

 

意見を言う人が嫌われると思っている人は、

 

当たり前だけど、鈍感で相手の想いを測れないデリカシーに欠けた、人のことを指しているよね?

 

わたしも、そんなズレた人はハッキリ言って嫌いだ。

 

光の速さで付き合うことをやめる。

 

相手が誰であろうが、誰得やねん、と思う意見を振りかざす人からは一刻も早く離れる。

 

でも、総合して意見を言う人が嫌いかというとそうではない。

 

寧ろ、”言い方を心得た、自分の意見を言える人”が、好きだ。

 

意見を言うこと自体は、わがままではない。

 

事実として、

 

相手のためにも、自分のためにも意見を言える人がつくる世界は、

 

所謂、サファリパークにはならない。

 

建設的で、平和な世界だ。

 

.

.

 

日常の中で、どんな小さな選択にも自分の意志のもと、おこなう。

 

これは、わたしが日頃、無意識のうちに擦り込み続けている言葉であり、習慣だ。

 

人間だから、生きていて判断に迷うことが起こり得るのは当然だ。

 

選択肢が多い中から、1つに絞らないといけない状況もままあるだろう。

 

今でこそ、即断即決タイプなんて言われたりするけれど、

 

昔は、

 

のび太も引くくらいの優柔不断さを携えていたと思う。

 

こんな過去を持つわたしだから、優柔不断は、訓練で直ると思っている。

 

具体的に決められない時、

 

わたしがおこなっているのは、

 

「どれがいい?」と聞かれれば、

 

数ある選択肢の中から、

 

自分は”あれ”と”これ”とで迷っているとある程度具体的に絞って告げることにしている。

 

10個の選択肢から、瞬時に1個に絞ることはむずかしくとも、

 

 好きな3つ、または5つに絞ることなら、グンっとハードルが下がるはず。

 

.

.

 

これはあくまでも仮説だが、どんなに俺様、クレオパトラな性格の持ち主も、

 

全ての裁量・決定権が自分に与えられていたら、

 

面白くないと思うのは、わたしだけだろうか?

 

良い意見は積極的に取り入れたいし、好きな人の意見なら尚更聞きたいとは思わないだろうか?

 

三者的な意見が削がれた、

 

自分だけが正義だと思ってつくり上げた世界なんて

 

ひとり相撲やん。

 

何でも肯定して、うんうん、言ってくれるだけの人はおもしろくないと思うんだよね。

 

無理に、反対意見は言わなくていいと思うけれど、

 

肯定するなら、するだけの理由を述べられたら、

 

相手は共感してくれたことにもっと喜んでくれるだろう。

 

言い方を考えて意見を言えば、相手にも押し付けがましくないし、

 

無理に自分の意見も飲み込まなくて済む。

 

妥協点を見つけていく。

  

ちゃんと言えるんだよ、って段階を踏んで、

 

下地をこしらえて、

 

ここから生きづらい日本を変えていきたい。

戦略的、ニート

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「おしごとって英語でなんて言うの?」

 

「え?ビジネスちゃうの?」

 

「スペル知ってる...?」

 

 

”business”

 

.

.

 

↑上記は、とある日のわたしの脳内ひとり会話である。

 

 

busy + ness =(尻尾が" y "のときは" i " にしよう)=business (名詞形のときはnessをガッチャンコ)ってことか!

 

つまり、”忙しい、こと”か!

 

.

.

 

今年のはじめに

 

あたらしいことを勉強しようと決めて

 

敢えてニートになってみた。

 

人間何かに属して何かしていないと不安になるものだし、

 

これまでのコンフォートゾーンから抜け出すのは怖い。

  

とても勇気がいる。

 

しかし、これから先のことを考えると、今敢えてニートになっておく選択肢はぜったいに必要なことだった。

 

というわけで、世間的によしとされている社会のレールから降りてみた。

 

わたしが欲しいのは、どこの誰だがよく知りもしらない人に、

 

「社会のレールに乗って真っ直ぐ進んでて偉いねぇ。」と

 

認めてもらうことではないし、

 

比較の対象にもならないが、

 

1度きりの人生、得意を味方につけて自分らしく、やりたい事を実現して自分も周りも笑顔でいられる環境をつくっていくことだからだ。

 

だから、仮に誰かに何か言われたとて、よく知らない人の意見は聞かなくていいや、と思うことにしてみた。

 

今月稼げなくても、半年後、1年後に確実に稼いでいけるスキルを。

 

そうやって久しぶりに自分の心を奮い立たせてみた。

 

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.

 

時間を捻出しない限りは、深まったことは何も出来ないし、きっかけを掴めない限り、世界も開けていかない。

 

スキマ時間で何かを生み出せるほど、生産効率の高い人間ではないし、

 

マルチタスクを器用にこなすタイプの人間でもない。

 

忙しい現代において、スキマ時間の大切さやそれを上手く活用させることの重要性は、自分も時間に追われた生活をしていた身として、よくよく分かっているつもりだった。

 

現に、毎日どこかで1時間取れば、ちりも積もれば毎月30時間の捻出につながる。

 

スキマ時間は馬鹿に出来ない。

 

しかし、

 

自分の性格的に、二足のわらじを吐きながら、何かを片手間でやるのは性に合っていなかった。

 

加えて、これから書く弊害が自分にとっては、何よりのニートにならないことで起こり得るリスクだった。

 

それは、

 

細切れになったことにより発生する再起動時間のロスだ。

 

毎日1時間でもいいからコツコツやる、

 

それが出来たら言うことないのだけれど、

 

時間で区切るやり方をしていこうものなら、

 

再起動するまでに時間がかかる。

 

捻出した時間1時間を丸ごと勉強に当てられるのではない。

 

えぇっと、前回どこまで終わったっけ?

 

復習を兼ねつつ、前回の結末に当たる部分はどこかを辿っていく...

 

この時点ですでにタイマーは刻々とスタートしているのだ。

 

一度思考を閉じてしまったら、再起動するまでに思っている以上に時間がかかる。

 

スキマ時間を使う時、この時間を計算に入れているだろうか?

 

ただでさえ新しい知識を覚えていくのは物理的に負荷がかかるし、頭を使う仕事(怪しいネットビジネスではないよw)なんだから、 

 

起動するまでの時間は最大のロスなのである。

 

慣れない行為に対する居心地の悪さもある程度は覚悟しておかないといけないかもしれない。

 

再起動Windows2000並に遅くてゴメン、と言えど仕方がない。

 

そもそも、何のためにスキマ時間を使っているかというと

 

それは、時間を効率的に使う目的があるからだったはず。

 

だから、ブツ切りの時間を足していくって、実は、効率がすごく悪い。

 

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人間はスケジュールを埋めたがる生き物。

 

翌月の予定表がスカスカだったら、

 

自分は必要とされていないように感じるOLが多い、と

 

大昔に雑誌か何かのコラムで見た気がするけれど、

 

本当にそうだろうか...?

 

正確には、スケジュールが埋まっていることで

 

働いていたり、充実した感じを演出できるし、

 

それを安心に繋げているだけではないだろうか?

 

もし仮にそうなら、それは本質的ではない気がする。

まとめて時間をつくることの大切さ。

 

ニート期間を振り返り、あたらしい何かを習得する時は、再起動しなくてもいいくらいに大胆に時間を設けることが大切だと身を以て体感した。

 

集中モードやそのゾーンに入っている時は、敢えてそれを味方につけてやり続ける。

 

その時に、開いた世界を閉じないこと

 

自分にブレーキを踏まないこと

 

別の予定やお決まりのルーティーンのせいで、

 

中断せざるを得ないのは、非常にもったいない行為だと思う

 

スケジュールを綺麗に埋めることに酔わない

 

一度、大胆にスケジュールを区切って

 

考える時は、集中して考えられる時間を設けてみる、

 

意外とこっちの方が効率がいい、という気づきだった。

 

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あたらしいことをはじめたり、

 

イデアが必要なときは、

 

非日常と余白を味方につける。

 

しゃがんだら、もっと高く跳べるよ、と

 

不安になる度に言い聞かせている。

 

 

【余談】

 

businessの語源は「busy」であることは正しい解釈ではないそうだ。

 

日本語でビジネスを表す「business」の語源は、古代英語「bisignisse」らしい。

 

またこのbisignisseという言葉のもとになったのが古代英語の「bisig」であり、

 

このbisigがbusinessの語根である「busi」の由来となったらしい。

 

(ややこしいやー)

 

”bisig”という古代英語は「気にかける」という意味があり、

 

businessそのものの語源とされているbisignisseという言葉には

 

「心配事」や「気遣い」といったような意味があり、

 

この二つの意味が発展した結果「日常を埋めている物事」という解釈が生まれ、

 

仕事を意味する現代のbusinessに繋がったとのことだ。

 

busyもまた古代英語のbisigが由来の言葉であるので、

 

いうなれば二つの言葉は兄弟のような存在とのこと。

 

(ふーん。。多分、一生使わない知識だろうな)

 

ちなみに、ニート

 

わたしは、ずっと”Neat”だと素敵な勘違いをしていた。

 

(英語で”きちんとした”という意味にあたる)

 

Not in Employment, Education or Trainingの頭文字をとって

 

NEET” だったとは。

 

馬鹿だねぇ。

 

ビジネスとニートの誤解のダブルパンチで全く有益性のない記事を量産してしまった。

失っても、失われないもの

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気心の知れた数少ない友人のひとりに、

 

遺跡の修復を生業としている”N”がいて、

 

彼女は自分の仕事を心底誇りに思って取り組んでいる。

 

「死ぬまで、この仕事をし続けたい

 

いつも聞き上手な彼女が、仕事の話をする時は、別人になる。

 

いや、同じ人物なのだが、完全に職人タイプで控えめな様相からは想像に難い、瞳の奥をキラキラと輝かせて、こちらに熱く語ってくれる姿は、本当にカッコ良くて、羨望の眼を向けずにはいられない。

 

真剣に向き合って得たスキルは、

 

宝物。

 

自分の仕事を心底愛しているんだなぁ、と

 

彼女が体現してくれているようにわたしには感じる。

 

それに比べて自分はどうだ...?

 

最近まで、多趣味=飽き性だと思っていたし、

 

職人さんのように、ひとつのことだけに絞って淡々黙々と向き合えない自分はダメなのかな、と思い悩んだりしていた。

 

軸はあっても、柱を1本だけに的を絞って伸ばしていけない、もしくはその1本柱がまだ見つかっていない自分がまるで悪のように感じてしまう謎の病にかかっていたのだ。

 

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雲が晴れる転機となったのは、自分の気質を受け入れ、その領域で良さが発揮される選択を繰り返していくことを決めてからだった。

 

1つに絞ることが善、だと思っている前提を疑うと、

 

元来、1つに絞ることを天は自分に求めていないんじゃないだろうか...?

 

その領域で頑張ろうともがいている限り、今以上にはなっていかない気がするな...。

 

と思い身体と心が軽くなった。

 

いろいろやってみて分かりつつあるのは、最終的には、自分の好きなものしか残っていかないということ。

 

それは、事実だった。

 

10代後半から20代の大半にかけては、そんなことを分からせるための時間だったのかな、と思わされる。

 

ある頃は、

 

都会の喧騒を離れたい、と週末に弾丸でスノボーのために信州の雪山を目指したり、

 

美味しいパンを焼くからと意気込んで、早朝から天然酵母の発酵具合を気にし、目的が次第に捏ねる作業に集中することによってストレスを減少させていくことにシフトされていったり...

 

お行儀よく正座をしては足の痺れと格闘し...必死の形相で「結構な御点前で」とニッコリ笑って言う姿は、滑稽であるがいずれにしても本人は真剣であった。

 

ここに挙げたのは一例だが、こんな風にいろいろやっていた掴みどころがない自分の性格も、自分という引き出しを増やすお役目は買ってくれているのかな、とようやく思えるようになってきた。

 

どこかでまとめていかないといけないとは思っているが。

 

もう一度書くけれど、いろいろやってみたけれど、本当に自分が向き合っていきたいことしか残っていかない。

 

現時点において、わたしの場合は、文章に触れることとアートな世界観、デザインに関わること、旅をすることがそれにあたる。

 

培った経験や得たスキルは、たとえそれを手放しても、向き合う対象が変わっても失われることはないと気づいた。

 

分かりやすい資格というカタチあるものではなくて、

 

たとえば、フットワークの軽さとかチャレンジしてみたいと思う心、とか。

 

カタチのないものにも、価値があるように思えてきたのだ。

  

バトンタッチはしても、また別の領域で伸ばしていける可能性を秘めたタネであったことに気がついた。

 

方向性やベクトルは同じに、ということだけ、どうなっていくか分からない未来に自分と約束しておこうと思う。

 

自分の人生だから、自分の選んだ道を正解にするしかない。

 

会社も社会も究極的には、肉親も誰も自分の人生の責任は取ってくれないし、こんな頑固な自分は誰かに舵なんて渡してる場合じゃないなと。

 

真剣にやることで見えてくる世界が変わってくる...

 

真のクリエイターに嫌々やってる人なんて一人もいない。

 
表現しないと死んじゃうくらいのノリで、今日も生きてる。


人生は、本気になれるものに出会えた分だけ豊かになると信じているから。

 

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ちょっと熱すぎるくらいのノリで書いてしまったが、心の底でいちばん熱い部分なので見逃してもらおう。

 

アイスでも食べてちょいと冷却しよ。

 

【余談】

 

わたしの人生を変えるきっかけを与えてくれた本を1冊ご紹介します。

 

稲盛和夫さん「生き方 -人間として一番大切なこと-

 

amzn.to

 

京セラ・KDDI創始者稲盛和夫さんの本です。

一経営者として、人として尊敬してやまない方です。

 

出版年は2004年と決して新しくはないですが、今読んでも色褪せず本質が書かれています。

 

6年程前にはじめて読んだとき、全身がカッと熱くなって言葉の力の強さを思わされました。

 

あれからもう何回読んだことでしょう。

 

魂に刻み込むように、迷った時はここに戻ってこよう。

 

そんな気持ちにさせてくれる大切な1冊です。