勝つことより、負けないこと
売られた喧嘩は買わずにはいられないと
堂々と声高に宣言する人がいて、
そんなこと言ったり書いたりする必要ある?と思えた。
買ったら、悔しいことが丸出しじゃない?
そのバトルの先には何が残るんだろう...
いやぁ、無理だわ。
すぐ怒る人はホント。
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最近、怒りの感情を越えて呆れてしまうような気持ちになる出来事があった。
たしかに、心のなかに波風は立っているんだけれど
その相手をどう言い負かそうとか
全く考えなくなった。
何だろう、ちょっと成長したのかなぁ。
昔の自分なら、何か言っていたかな。
怒る人は、そこしか見えていない
もっと大きい世界で捉えようよ
そんな声がどこかから聞こえてきたような気がした。
どんなことにも、気づきのエッセンスが必ずあるはずだから
怒っていると一方向からしか物事が見られなくなる
それがデメリットに思えるから。
事なかれ主義とは、ちょっと違うところで折れるポイントを見つけたというか。
思考の癖で
仮に、心を揺るがすくらい
嫌なことがあったら、
そういったプチ事件がなかったら真剣にならなかったでしょ?と思うことにしている。
静かな怒りを根に持つことを推奨する訳じゃないけど
その瞬間、
(((めっちゃ怒ってる)))
って自覚しながらも、
本気度試されてる〜〜〜〜と思うことにしている。
もう自分は無駄な戦のある世界では生きない、と決めたら
あとは、自分の責務を果たすことに集中しようとそっぽを向くことにする
建設的なものが得られないところで闘う必要はないし、
敢えてリングにも登らず、早々に違う方向を向く
ありがとう、本気にならせてくれて。と振り返った時に思えたら、それでいいや。
使うべきところに、エネルギーを温存しておこう。
幸い寝たらスッキリするので。
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「勝ちたいねん。」
昔の自分なら、こんな風に言っていただろうか?
「いや、負けなかったらいいんじゃない?」
ナメられたら圧倒的な実力で見返してやる、くらいの
気概で頑張れるなら自分はまだ腐ってないと思う
そう思えた、2020年 夏。
【余談】
個人的に、どーしても、怒りがおさまらない時なんかは、
水野敬也の本を読むと大抵のことはどーでもよくなります。
そう、かの有名な夢を叶えるゾウの著者です。
賢くて面白い人がモテるのは、
いつの時代も変わらないのです。
この本は、モテない(モテたい?)全ての男性に向けて書かれた筆者の渾身の1冊ですが、
女性のわたしが読んでもおもしろいです。
抱腹絶倒で床を転げまくること請負です。笑
結果として、アンガーマネジメントにつながり、
女性にもモテる1冊です。
つまる所、深く考えずに読めば笑えます。笑
ちなみに、今ならKindle Unlimitedで無料で読めますのでどうぞ★
夢に日付を添える。
4年前、インドで対面のアーユルヴェーダのコンサルテーションを受けた時に録音した音声がiPhoneのデータを整理していたら出てきた。
ルーティーンワークをやめろ...
歌を歌うように、ダンスを踊るように、自分の中から湧き出るクリエイティビティに向き合いなさい
そして、それを表現していく作業にもっともっと時間を費やしなさい
それがあなたという人間のバランスを整えるうえでとても大切になってくる...
そうやって目の前の彼女は、愛のあるメッセージをわたしに告げた。
当時の自分の英会話力は、ないに等しいも同然で
具体的なレベル感を伝えると、
はい/いいえで答えられる質問と
それにまつわる極々簡単なやり取りしか話せない程度の
情けないものだった。
そのため通訳をお願いしていたのだが、それらの内容を今は無理なく聞き取れていることに驚いた。
これからタイムマシーンにのって、
数年後には、このやり取りも難なく聞き取れるようになっているから、落胆することはない。未来は明るいよ、と伝えに行ったとしても
きっとにわかには信じてくれないだろう。
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英語に関するわたし自身の挫折と希望はこちらをどうぞ。
英語を話せない人の気持ち、そしてそのロジックは嫌というほど分かります。
同じような悩みを抱える方に届けば幸いです。
reborn-to-be-free.hatenablog.com
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留学へ行くと決意して日本を飛び出す時、
「1年半後にペラペラになって帰るから」と大切な人たちと約束した。
…が現実は、夢破れて、つまらなさすぎて半年で挫折して帰国した。
英語だけ、話せても自分には何もないじゃないか…
どうすんねん。
控えめにいって落ち込んだ。
人生でいちばん暗い時期を過ごしていたし、
身も心もボロボロになって、
目の前に池が出来るかと思うほど泣いたと思う。
もう立ち直れないかもしれないというところから、
自分なりにもう一度0から向き合うことを決めて歩みはじめたら、
バックパッカーとして世界を巡る頃には、
別の次元でやりたいことがクッキリと輪郭を持つようになっていった。
たくさん旅をし、数々の出会いを通じて、世界中に掛け替えのない友達が出来た。
自分は、
今日はお天気がいいですね。
好きな歌手や芸能人は誰ですか?
好きなスポーツは何ですか?
といった表面だけのスモールトーク(言葉を選ばずに書くと薄っぺらい会話)で終わりたくなかった。
素敵な人と出会ったら、自分の人生観や価値観、これからの夢にまつわることなど、
つまるところ、望みは深いところまで話したかったのだ。
何故、英語を勉強しているのかと聞かれれば、当時は対外的には旅行のためと答えていたが、
本心は、常に深いところでの繋がりを求めていた。
「叶ってるやん...。」
あれほど喉から手が出るほど欲しかった現実が気づけば叶っていた。
いちばん驚いているのは、他でもない自分であることは間違いのないことだった。
人間って変われるんやな...とこの時ばかりは、哀しい時に流すものとは別の種類の温かいものが頬をつたったのを今でも鮮明に覚えている。
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「夢に日付を添える」という作業。
例えば、1年半で英語で自分の言いたいことを言えるようになる、と決めたこと。
それには、具体的な行動もセットではじめて叶っていくものだということは不変の真理だが、どんな願いも1年後でも3年後でも、こうありたい、あろうとする姿や願いに日付を添えることは、言葉としての意味そのもの以上に効果があると感じられた。
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今、自分は、3年以内に達成したい、すると決めた夢とも目標ともとれる生き甲斐と一緒に生きている。
叶ったらいいな、とかじゃなくて、絶対に叶えにいく、という熱すぎるくらいの気概を普段は悟られまいと涼しい顔をして書いている。
未来で待ってる成長した自分像に
待ってろよ。と言いながら。
そうやって、楽しみに頑張ることが、今日という日に新しい風をもたらしてくれている。
飽きるはずがないんだ。
トライアンドエラーを繰り返す度に、落ち込んだりもするけど、
やる前から諦めなくてもいいことは、4年前のわたしが証明してくれているよ、と音声テープが教えてくれた。
格好いい大人に憧れて
中学校の卒業アルバムの
最後のページの寄せ書きには、
”素敵な大人になれ”と
さりげなくも確かな存在感で書いてあった。
シンプルで刺さる言葉が持つ響きは特別で、
卒業して15年近く経とうとした今でも覚えている。
…が、その記憶に残る一言はわたしだけではなく、
こぞって引かない生徒一人ひとりに言葉を選んでいる暇はないから、
みんなに同じことを書いているんだ、と夢から醒める一言を先生自らが暴露してくれた。
どうも、ありがとう笑
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子どもの頃の自分が二十代半ばの素敵な大人に見た背中というのは、
もっと何というか、かっこよくてオトナっぽく映っていたように思う。
当時、自分が憧れ抱いていた”オトナっぽい”を言語化してみた?
・「ねぇ、これ何?」と聞いても、嫌な顔せずにどんな角度からも答えてくれる。つまり、何でも知ってる。
・オトナの余裕がある
・見た目までカッコよく、なりたくなるような子どもが憧れる要素を携えている
(憧れてノースリーブとか着てみたいと思って、大人になって買ってみたら、意外とふつう。だった)
何でもござれ、スマートにこなしながら、生きているイメージだったと思う。
加えて、わがままなわたしのような子どもの扱いにも慣れており、
程よく、ハイハイとダメダメ、を使いこなす、
飴と鞭の達人のように少なくともわたしには映っていた。
でも、いざ自分がその年齢に達してしまうと、
あれれ?自分はあんな風に生きれてる?と問いかける瞬間があったりする。
冷静に分析して、違うぞー。と思えることがあるから、
強いて仮説を立てるなら、
彼らはいろんな顔を持ち、
その時々で見せる面を変えるように変幻自在なお面を被っていた、
ということなのか。
つまり、子どものわたしに見せる顔で接してくれていた、、のか?
その実は、分からない。
「じゃないと辻褄が合わないんだけど…。」
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"人に見せる顔はひとつでなきゃいけない"
と正気で思っていたことがあった。
今思うと、なぜそんなに四角四面に決めつけていたのか?
ちょっと(いや、かなり)理解に苦しむが、
「自分というキャラクターは、ひとつでなきゃいけない」
と狭い世界にルールを設けて、苦しんでいたように思う。
レパートリーがあってもいいのにね?
親に見せる顔と
フランクに過ごせる友人たちに見せる顔と
恋人に見せる顔と
上司に見せる顔と
旅で出会った行きずりの他人に見せる顔…
これらは、かならずしも一致していなくていいはず。
わたしが憧れた格好いい大人がそうしていたように…
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話しを戻すと、
果たして素敵な大人になれたのか…というと、
せめてその街道を歩んでいると信じたい、としか書けないのだが
縦に真っ直ぐ伸びられないなら、
横や斜めに伸びたったいいじゃないか、と最近は思っている。
承認欲求の強い人間だし、大人になっても心は乾いたスポンジのようにいろんなことを吸収し続けていたいと強く思うし、成長している実感を持って行動をしている時に、一番心が喜んでいる気がする。
要は、北山杉のように、綺麗に真っ直ぐピンっとは伸びられないけれど、
昔の甲子園球場で見た緑の蔦みたいには、うねうねと伸びていけそうな気がするのだ。
失敗もするし、つまづくし、転ぶし、
まだまだ知らないことだらけで
賢い人の傍にいさせてもらうと
みんなスマートに生きているように見せかけて、
意外と泥臭く努力してんなー。と開いた口が塞がらない瞬間も多くある。
それでも、わたしには格好いい大人になりたい、と未だに心のどこかで思っている密かな欲求が味方してくれるから大丈夫だ、と根拠のない自信が支えてくれている限りは大丈夫だと思って生きてみます。
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【余談】
今年読んだ本の中でも、文句なしに5つ星でした★★★★★
『30代を無駄に生きるな』
30代を目前に控えたアラサーのわたしのような人にも、すでに30代にさしかかった人も、すでに突入してまもなく抜けそうな人にも、すでに抜けている人にも響く要素がちりばめられていることと思います。
本質を言っておられる方の言葉はこうもすんなり心に入ってくるのか、とあの日書店で衝動買いした自分を褒めてあげたくなりました。
自分になれる時間
小学生の頃に通っていた水泳教室の帰り道には、
いつも決まって最寄りの駅まで迎えに来てくれていたおじいちゃん。
手には、決まってじゃがりこ(サラダ味)を持って改札の向こうに立っていてくれた。
帰りの電車の中で、ポリポリ言わせながら
「今日はカエルになったー。(平泳ぎ)」とか手も口も忙しく成果報告をしながら、
一緒に帰るのが水泳教室の帰りの日課だったように思う。
今日は、「チーズの気分。」とかは決して言わない。
何故なら、いつもサラダと決まっているから。
たくさん泳いだ後は、サラダとチェリオ(100円の自販機)でエネチャージが合言葉だった。
カラダに悪い組み合わせだな…。
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うちの家は、祖父母と向かい同士になっていて、中学、高校生の頃は、毎朝通学の時間帯になるとどんなに寒い日も姿を見せて自転車で通う姿を見送ってくれた。
こちらも普段から暇になると、ここぞとばかりに気に入られるように立ち回っていたから、肩たたきなんかをした暁に、内緒でお小遣いをもらうのも、弟に悪いと思ったことも1ミリもない。
両親が厳しすぎたせいもあって、おじいちゃんだけが味方だと思っていたこともあった。
不思議と怒られた記憶というのがない。
強いて言えば、怪我をしそう、とかそういう危ない瞬間に一瞬注意をされた程度だろうか。
とりあえず、何でも肯定してもらえた環境はぬくぬくと居心地が良かった。
困った時に、あ・うんの呼吸で通じ合える駆け込み寺がなかったら潰れていたかもしれない。
今でこそ、親には親の役割が、祖父母には祖父母の役割があることも分かったような気になっているが、それでもやりたい思いをとことん受け止めてくれる愛情表現の仕方は、難しいことが分からない子どものわたしには十分すぎるくらい有難い存在であった。
わたしの好き、もおじいちゃんには、しっかり伝わっていたように思う。
人生には、時として自分になれる時間を持たせてくれる人との出会いがある。
いろんな人に出会って最終的により一層そういう人たちとの関わりを求めていくというか。
きっとその人たちにも、こちらの好意というのは伝わっていることだろうし、テレパシーのようなものが存在しているのも、あながち迷信ではないのではないかと信じている。
自分が居心地のよい人や距離感、関わり方は自分が一番よく知っているはず。
相手の期待に応えようと本来の自分と違う自分になってみたり、それと違う世界で生きようとするからしんどくなってしまうんだ。
たくさん本を読んだりしたけど、答えはいつも自分の心が知っている。
そう。
どれだけ外側に答えを求めていってもないのです。
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数年前に、あてもなくヴィレヴァンを歩いている時に見つけて買ってやってみました。
やったことある人なら、この面白さや快感を分かってもらえるはず★
My Life~書き込み式・自己カウンセリングBOOK
~254の質問に答えたあと、「本当の自分」が見えてくる。~
さて、今日は、おじいちゃんが好きだったじゃがりこでも食べようか。
おしまい。
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アイバンク
享年、29歳。
若くしてこの世を去った従兄弟の年齢を
もうすぐ自分は追い抜こうとする齢になった。
かっこよくて、優しくて、思いやりがあって
時々おもしろくて
絵に描いたように素敵な彼が大好きだった。
突然の別れから18年。
もし生きていたら...
どんな素敵な奥さんと結婚して
今頃、どんな温かい家庭を築いていたことだろう
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死因は
要するに働きすぎ。
当時、そんな言葉はなかったように思うけれど
今でいう”過労死”だという風に聞かされた
無念だった。
当時10歳のわたしには
頭の中に『何故?』がたくさん転がって
その件をあまり上手に思い出せない。
時間がゆっくりと解決していくことを信じて
誰もが忘れたくても忘れられない想いを抱えながら
時を過ごしたことだろう
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後に、彼が生前臓器提供の意思表示をしていたらしい、ということを知った。
そのおかげで死後直後、彼の両眼はこの世に必要としている誰かのもとへ渡ったという。
日本には、実に多くのアイバンクがある。
アイバンクとは、失明の不幸に見舞われている人に角膜移植手術を施し、開眼の機会を与えるために、角膜提供登録者を募り、死後、遺族の同意を得て移植を待つ患者に斡旋する公的機関のことだ。
アイバンクに眼球を提供することを献眼(けんがん)という。
献眼に事前の登録は不要なようだが、献眼登録を行うと献眼登録証と献眼登録者カードが発行され、これらを携帯することで自らが献眼の意志があることを示すことができるらしい。
しかし、臓器提供意思表示カードに記載すれば特に届け出る必要も登録する必要もないということだ。
どうやって?
実際、運転免許証の裏にもその欄はあった。
ペーパードライバーの人にとって普段は、高額な身分証明にしかならないたった一枚のカードの裏側に小さな意思表示をできる場所はあるのだ。
そうしたい、と思っていても人間はなかなかやらないもの。
でも、実際にそうやって小さな行動をしていたところに彼の他者を思いやるやさしさが滲み出ていた。
この世の誰かが彼の瞳を通して、この世界を見ている
彼が29歳以降見れなかった景色を。
瞳だけはまだこの世にあって今日も誰かの役に立っているんだなぁ、
と思うとジーンときた...
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生前、携帯も今ほど普及していない頃に
何度かやり取りした手紙を今でも宝物のように残している。
普段は、決して開けない扉の向こう側にはこう記してあった。
僕も手紙を書くのが好きで、今までにいろんな人にたくさん手紙を書いてきました。
といっても、やっぱり好きな女性への手紙が一番多いかなぁ。
書く時はどうすれば相手に自分の気持ちが伝わるかすごく考えるしそうやって書いた手紙はきっと相手の心にも響くと思います。
これからはネットやメールの普及で自筆の手紙は減るだろうけど、〇〇ちゃん(わたしの名前)には手紙を書く習慣を大切にしてもらいたいと思います。
時代は変わっても、手紙を通じて築ける関係を大事にしてほしい...
女性のように美しい字体で記されていた。
今でも、わたしの宝物だ。
人並みにITの恩恵に預かっているわたしだが、
自身は割と筆まめな方だと思っている。
本当は、LINEよりメールの方が好きだし、
メールと手紙を比べることは間違っているけれど
長文でやり取りすることも厭わない。
このブログも手紙のようなつもりで書いている。
彼のおかげだろうか。
サンキュ。
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彼が亡くなって20年近くたった今でも
わたしたちは飽きもせず
未だに彼との思い出話をする
家族の誰からともなく彼の話題を口にして
気がつけば思い出話に花を咲かせてしまうのだ
もう何度となく口にしたはずなのに
色褪せない
決してアップデートされるはずのない時間の中に
ひとり一人が想いを寄せている
死後も語り継がれる生き方って素敵だな、とあらためて思った。
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今頃は、宇宙を瞬く無数の星の中に生きてまた別世界でみんなに愛されているんだろうか。
それとも、もう生まれ変わった?
高野山。
いつかあなたの眠る場所へ逢いに行きます。
緩急〜ギャップのある世界で〜
ちょっとパンクなテイストを含み
それでいて聴く人を選ばないポップなメロディに、
本音を隠さない歌詞で心をエグるられるような感覚。
あなたの両手を切り落として 私の腰に巻き付ければ
あなたはもう二度と 他の女を抱けないわ
あなたの両目をくり抜いて 私のポッケに入れたなら
あなたの最後の記憶は 私であるはずよね
逃がさないよ 離さないよ 私だけのあなたになるの
今すぐ部屋においで
ねえ? どうしてそばに来てくれないの
死ね。 私を好きじゃないのならば
あいみょん、やってくれるなぁ。
1stインディーズミニ・アルバム「tamago(たまご)」に収録されている
貴方解剖純愛歌~死ね~の歌詞の抜粋である。
全くと言っていい程、いい意味でオブラートに包むということを知らないらしい。
あなたの消そうとしても消せない個性、素敵です。
と心の中でメッセージを送った。
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強面の見た目とは裏腹に、根っこには他者へ愛で溢れたやさしい人。
キュートで控えめな容姿からは、とても想像しえない程の熱い魂や胸に秘めたものを持っていて、時代や世界を揺るがしてしまいそうな勢いのある人。 目の奥にキラキラと光るもので周りもうまく巻き込んでしまう人。
気怠そうにやる気のない態度からは、想像もつかないプロフェッショナルな仕事をする人。
金髪のヤンキーが、TOEICのために、英単語帳を開いて陰で努力していたり。
人はそういうギャップに惹かれるのは、普遍的なことなのだ。
全部、その人がつくった世界観なんだろうけれど、
”何故、心に刺さるんだろう?”
を独断と偏見で勝手に研究した結果、
そこには、
”緩急”
という因果関係が切っても切り離せないのだ、という結論に行き着いた。
緩急(かん-きゅう)... ゆるやかなことときびしいこと。また、おそいのと早いのと。
辞書で引くとこんなことが書かれていた。
期待を裏切られているんだ。
相反する要素でいい意味で期待を裏切られた時の心地よさったら、ないね。
だから、著しく響くし届くんだ。
ニワトリが先かタマゴが先か分からないけれど。
わたしが見る限り、みんな無理はしていないんだよね。
自然体が絶妙にクロスされている。
先ほどのあいみょんの歌詞を仮に、
嫉妬に狂って光源氏を殺そうとした
現代版・源氏物語の六条の御息所様々の嫉妬節で
重い曲調で重い歌詞をのせて歌っていたらどうだろうか?
奈落の底へのロングドライブにジョイン、したくないよね。笑
ガーリーな女の子が
「ディズニー好きです♡」って
目を輝かせて言っても、
それ普通やん。笑
って、思ってしまうわたしはひねくれすぎているだろうか。
工藤静香が釣り好きを公表した際に反響を呼んだのも、
ひとつはその意外性ではないだろうか。
半分は、好みの問題かもしれない。
短調でフラットな世界に、居心地のよさや安定は存在するが
たまには、予定調和を崩されるような揺さぶりがあってもいいんじゃなかろうか。
緩急自在な人になりたい。
あぁ、こうして理想がまたひとつ増えてゆく。
Think right 〜仮説を立てることは、思い込みを育てるってこと?〜
最近読んだ本の中に、
「お気に入りを殺せ。」
...と、控えめに言って強烈な一言が書かれていました。
えっ、どゆこと?
(よくあるビジネス書なんかとは、一線を画しているではないか...)
と思ってしまいました。
わたしは先日、沖縄行きの飛行機に乗っている時にこのフレーズに出会ってしまい、これから見るであろう美しい海と空、流れる景色も、独特のゆるさも、ちんすこうも、おばあの笑顔も全部かなぐり捨てなきゃならないのか...と憂鬱になってしまいました。
(いや、そういうことではないやろw)
さらに、読み進めると
自分の好きな考えや言葉こそ、手放した方がいい。
あいまいな仮説ほど、確証のワナにハマりやすい。
”確証のワナ“
何それおいしいの?と思った方、仲良くなれるかもしれません。
ここでの確証のワナとは、人間は自分の持っている考えと正しい証拠を常に探そうとする生き物だから、と述べられています。
ふむふむ。
なるほど、それは一理あるな、と思いました。
「反対の証拠」をフィルターにかけて取り除き、
「自分の考えが正しいことを証明する情報」ばかりを手に入れようとする。
つまり、反対の意見をわざわざ見つけにいかない、ということだそうです。
事があいまいであればあるほど、この「確証のワナ」が生じやすいのだそうです。
しばしば、あいまいな仮説を立て、それに準じる2、3の「証拠」を書き足して、さもそれが正しいと思い込もうとする。
「反対の証拠」を掘り起こす努力はしない、ということです。
今やインターネットやSNSを駆使すれば、自分と考えが同じ人と簡単につながることが出来ます。
自分の主張や意見が正しいことを証明してくれる、また後ろ盾になってくれるようなブログ、ツイートを見つけることは簡単に出来てしまいます。
時にシェアなどして、気づけば知らず知らずのうちに脳に刷り込む作業をしている時もあります。
しかし、「反対意見」は自分が進んで集めようとしない限り、全く映らないような仕組み、メカニズムがあるというのです。
わたしたちは、こうして情報をフィルターにかけ、ますます偏った情報ばかりを集めるようになり、自分と同じ考えをもつ人々の集団の中で行動するようになってきている。
とまで書いてあるではありませんか。
こうした状況を”問題”だと考えるのにはどうしたらよいのか?
敢えて、”問題”と書きました。
これまで、わたしはそれを”問題”としてさえ捉えていなかったのです。
筆者は続いて、こう書いています。
自分の考えを書き出せ。
そして、「反対の証拠」を探してみよう。
「お気に入りの考え」を消し去るのはつらい作業だ。
しかし、教養のあるあなたなら、それを避けては通れない。
「…。」
いや、出来たらすごいでしょ?笑
大した教養もなく、頑固なわたしには、なかなかハードルが高めな課題を突きつけられたような気がしました。
でも、考えを深めるきっかけにはなった、とその時はパタッと、本を閉じました。
.
.
わたしはこれまで、自分の直感を信じて生きてきました。
仕事、人間関係、好きなもの...
何もかも意思決定の最高指揮官は自分の”心”でした。
見方によっては、とてつもなく気分屋に映るでしょう。
だって、あれもこれもたくさんの人の意見や考えを取り込もうとすれば、揺さぶられるやん。(本音です)
直感に従ったからこそ、今がある。
そう思えることは数え上げるとキリがありません。
でも、最近これは正しい直感なのか、
はたまた
単なる過去の経験則に基づく思い込みなのか、
どっちなんだろう?と考える瞬間がありました。
”察しが良すぎる”
これは、わたしが他者からいただく褒め言葉でもあり、わたしにとっては時に弊害となり得る言葉でもあります。
相手は、こう考えているんじゃないのか?と仮説を立てて、
それがさも正解であるように思い込みを育ててしまいます。
実際のところ、”あなた”は”わたし”ではないので、結論、聞いてみないと分からないのですが。
聞けないから、いや、聞かないからこそ、察するということをしてきました。
でも、最近、先回りをして考えてしまう癖は、意識して取り除いた方がいい場面もある、と気づかされることがありました。
ここのところは、まだまだわたしにはまだまだ掘り下げる余地がありそうです。
耳に痛いことですが、分からないなりに、考えることだけはやめないように行動し続けていこうと思います。
それが出来れば、また違った景色が見えてくるのかな、と思っています。
どうでしょう?今回の内容、ちょっと堅めな内容になってしまいました。
でも、わたしはシンプルにあなたの考えが知りたいのです。
◆Think right 誤った先入観を捨て、よりよい選択をするための思考法