旅と時々、アファメーション

旅と時々、アファメーション

チキンだけど、冒険好き。

リベラルな考え方

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久々に、定期券を買ってみた。

 

社会人2年目から、生意気にも車通勤をはじめたわたしが”テイキ”なんぞ買うのは、約10年近く振りになる。

 

そして、8月よりわたしの勤務地は、京都の街中のどこかのスタバになった。

 

自宅から現地までの定期代が7600円。

 

お気に入りの空間とコーヒーに、お金を払って月10,000円ちょっと。

 

これ、高い?

 

(たまに、チーズケーキとかご褒美に食べるかもしれないから、もうちょい上乗せしとくかな?)

 

捉え方は人の数だけあると思うけれど、現時点においては、わたしにとってはコスパがいいと思える選択と投資だ。

  

即席、ひとりコワーキングスペースの完成。

 

室礼はもとより、空調設備も環境も完璧。

 

お気に入りの空間で文章書いたり、デザインしたり、インプットしたり。

 

最高じゃん。

 

コワーキングスペースの月額代っていくらくらいだろう?

 

意見交換ができる、など、場所の提供以上の価値を見出せないとなかなか利用するのはむずかしそうな予感(自分は)

 

ちなみに、わたしのコワーキングスペース(スタバ)は、空間も音楽もお姉さんの笑顔も最高だよ。

 

コーヒーは行きつけの喫茶店のマスターが淹れた方が美味しいかもしれない。

 

でも、いいんだ。

 

もう時効だから語りますが、会社を辞めた理由に、空気環境の悪さが手伝っていたという事実があります。

 

いくら分煙されていたとて、男社会の中に紅一点で働いていた煙草を吸わないわたしにとって、狭い空間で皆が仕事の合間にスパスパと吸っては戻り、をくり返している環境は、

 

フィジカルにしんどかった...

 

やさしい人も多かったし、人として優れている人にも出会えた。

 

でも、匂いや空気環境の弊害は思っている以上に大きかった訳です、ハイ。

 

忍耐...

 

わたしは、この言葉を高校時代、校訓として毎日飽きるほど言われ、学校中の至るところに掲げられている筆文字を見続けていました。

 

どれくらい厳しかったか、というと

 

例えば、厳しい保健体育の授業でクラスの誰か一人でも、

 

居眠りの舟を漕ごうものなら、

 

授業中であっても、連帯責任で校庭を外周させられた。

 

何度も、何度も、くり返し。

 

またある時は、地毛が茶色だということを信用してもらえず、学年集会の際に、髪の毛を引っ張り上げられた。

 

今時、そんなパワハラみたいな学校...

 

あるんです。

 

正確には、あったんです。

 

卒業して10年経った今では、随分と丸くなったと風の噂で聞きましたが...

 

でも、その環境に耐えられたのも、

 

当時は、何の疑いもなくそうあるべきだと思って頑張れたのも、

 

その忍耐が要される環境の中で”頑張る意味”を見出せていたから、なんですよね。

 

言わされている訳でもなく、今でも心からそう思います。

 

その先に、未来がつながっていると信じて、目には見えない、でもたしかにあるものを掴み取っていこうと決めていたからなのです。

 

しかし、

 

会社に入ってからは、少し違いました。

 

我慢の上に成り立つもの、そこから生み出されるものってなんなんだろう。

 

こんな事を考えたりしていました。

 

語弊がないように付け加えると、わたしは会社を自分の仕事を愛していました。

 

もうここで学ぶことは何ひとつない。

 

そう後悔なく、言い切れるのは、自分の役割の中で責務を果たすことに躍起になっていた過去があるからです。

 

会社員時代、ガムシャラに時には怒られながらやっていた頃が一番伸び代があったと思います。

 

しかし、中堅どころになり、期待の目を向けられる頃に次第に、でもたしかに失われてゆくもの…

 

野心でした。

 

安定した環境の中で、自分は会社という組織に守られながら、時にそれを縛りに思いながら、何に挑戦するんだろう?

 

こう考えている時点で、「しない」と言っているようなもんだ。

 

このままでは、きっと甘い汁を吸わせてもらっている状況に甘んじて、たいした行動もしないまま三十路街道を突っ走るだろう。

 

(怖ろしい...)

 

これから自分は何に目を向けて、誰とどんな風に関わっていきたいのか。

 

もっと言うと、何を生み出していきたいのか。

 

魂に問い掛けるように、そう言った問いかけをし続けていった結果、会社を去るか、どうかの答えは、明確になりました。

 

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ところで、話は一人コワーキングスペースの話題に戻りますが

 

”京都の街中に自分の城を構えようものなら、家賃は月額いくらだろうか?”

 

先日、こんなやり取りをしましたが、

 

正確な金額は慎みますが、わたしも含め、意外と皆が思っている以上に高い、というのが実情だと思います。

 

一人暮らしに憧れる人は多いですが、そこに自分が居ない時間も加味して家賃を払っているんでしょうか?

 

働きに出て、夜に帰って寝るだけ生活をしている人は実質的には、自分がいない間の空家賃(というべきか荷物を置くだけの倉庫代?)にかなり高いお金を払っているんじゃないかなぁとわたしは考えたりします。

 

不毛な議論になりそうなので、この辺でやめておきます。

 

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わたしはどうやら、考え方次第で変わる意味づけをするのが好きなようです。

 

働く場所を変えてみる、良さは色々ある。

 

わたしは、新旧入り混じる、京都という街が好きです。

 

自宅から敢えて離れたところに通うことで、自宅に籠っていればすることがなかった運動が出来、歩くことで脳にもよい刺激を与えてくれる。

 

コワーキングスペースに辿り着くまでの過程で、街中を颯爽と歩く、お洒落でいかにも仕事ができそうな女性の姿を目の保養にできることはもちろん、

 

スタバに着けば、圧倒的にお洒落な空間に身を置ける。

 

早朝7時からお店がオープンしているので、早起きもできる。

 

加えて、人間観察も出来る。

 

マーケティングにつながる。

 

他者が参考書や本を広げて学習している姿にも感化される。

 

(これは大きいな。)

 

ここに挙げたのは、あくまでも一例ですが、

 

お金を払った以上の価値に、いろいろインスパイアされる訳です。

 

いつまで続くだろうか。

 

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正直、分かりません。

 

飽きたらやめればいい。

 

全ては、自分で決めたことだから。

 

結局、全て自分でやってみないことには、分からないんですよね。

 

小さくはじめて、大きく意味のあると思える行動をし続けたいと思います。

 

おしまい。