幸福論。
自宅から、歩いて数分のところに、
ネイビーの塗料が塗られたシックで無駄のない外観に、2Fの素敵なデザインの窓がよく目立つ大きな家がある。
その大きさに反して、仰々しさを感じさせない出で立ちは、凛としてさえいる。
夕刻時に前を通ると2Fの窓からは、外からでもありありと分かる程度に、間接照明の灯りが美しく漏れている。
余すことなく漏れる灯りに、団欒と癒しを、そしてほんとうの豊さのようなものを行きずりの他人にまで感じさせてくれる。
あぁ、こんなお家に住んでみたい。
控えめに言って素晴らしすぎる造りなのだ。
その家が立って10年近く経つだろうか。
もの言わぬ巨匠 ―。
勝手にあだ名をつけさせてもらった。
その家を遠目に見て前を通るたび、心が温かさで満たされたような気持ちになる。
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どんな土地へ行っても、無意識のうちに家の造りを観察してしまう癖がある。
ほんとうに不思議なことに、物心ついた頃からずっとこれまでもやってることは変わらない。
たまたま通りがかりに素敵な家を見つけては、その家の外観や造り、木の材質や全体的な色味のコントラストを感じて見て、脳内メモリにストックしていく作業だ。
もう二十年くらい。
本当に、笑っちゃうくらいその一瞬は無心でやっている。
インテリアにももちろん余念がない。
そう言えば、幼い頃、本気で建築家になりたいと思っていたことがあった。
それ専用と決めた自由帳に、自分が理想とする家の図面(正確には幼い子どもが描いた理想の家の内装の画、なのだが、ここではちとカッコつけて図面と呼ばせてもらう)を捨てずに母が今でも取っておいてくれているはずだ。
自分は今ありがたいことにWebサイトをつくったり、デザインしたりするお仕事をさせてもらえるようになった。
お客様から依頼してもらったサイトのデザインを一から考え起こして、イメージや見せ方を工夫し、設計していく。
ある時、ふと気づいた。
あっ、昔表現したかった世界を、Webの世界で表現しようとしているんだな。
言葉にできなかったモヤモヤとした霧が一瞬にして晴れたような気分だった。
家の設計とWebサイトの設計、一見似ても似つかない者同士だけれど、
デザインをカタチにする、という感覚の部分に自分は昔抱いた夢の破片を見つけたような気がした。
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自分が何をしている時がいちばん幸せか、
たとえば、
創意工夫して何かをつくっているとき。
丁寧につくられたものをこの目で感じて触れて、時には頂いているとき。
落ち着いた空間、間接照明の部屋の灯りの中で過ごしているとき。
大切な人と過ごしているとき。
これは、ほんの一部なんだけど
そういう小さな幸せのパターンをこしらえておく。
他人に取るに足りない小さなちいさなことかもしれない。
でも、ちょっと余裕がなくなったとき、
その何かが欠けていたり、分かりやすく足りなかったりしていることが多い。
自分なりの幸せの定義、を持っておこう。
そういう時は、いつでもこの中に戻ってきたらいいんだ、
という分かりやすい安心感が自分を救ってくれることは多い。
好きなことに向き合っている時間は自然と呼吸が深くなり、
その副産物として、気がついたらスキルが磨かれていることがあったり、
感度が上がっていたりする。
幸福論。
正解は、本でもネットでもなく、
自分の心の中にある。