旅と時々、アファメーション

旅と時々、アファメーション

チキンだけど、冒険好き。

宇宙元旦

 

3月20日。

 

春分の日

 

宇宙においての2020年の幕開けだ、と数人の人が教えてくれた。

 

つまり、3月20日以前は、未だ2019年のエネルギーの時間を生きていたというそうな。

 

簡単にいうと昨年から大きくエネルギーが変わったらしい。

 

ここで、信憑性の有無を議論をしたいのではない。

 

わたしは、無宗教だが、ただ気づけばある時を境に宇宙を司る大いなるエネルギーは信じることにしている。

 

目に見えないけれど、たしかにあるんだなと思って過ごしている。

 

只今の混乱な時期、ひとたび混乱な状況にフォーカスすれば、信じがたい事実とともにそれはメビウスの輪のように終わりなき不穏な渦を巻いてしまう。テレビのニュースを見ても、新聞を見ても、心が湧き立つような明るいニュースは一切と言っていいほどやっていないだろう。

 

我が家は、昨年より新聞も取らなくなった。

 

個人的に、テレビを見なくなってもう5年になる。

旅で訪れたインドから帰国して最初に起こした行動だったように思う。

 

次なる大型断捨離の最有力候補はTVかな、と本気で思っている。

 

いちおう、形ばかり自宅の居間にTVはあるのだけれど、普段は家族がつけているのを通りすがりに横目に見る程度で全くと言っていいほど必要性を感じていない。

 

遡ること5,6年前...最初から完全に断ち切ったのではなく、正確には段々と見る必要性を感じなくなってゆき、最終的には無くても困らないものの上位にここ数年ぶっちぎりでランクインしてしまっている。

 

今は全く必要としていない。

 

万が一泥棒が入ってTVを持って逃げていっても怒らない…だろう。

 

昔、どこかで一日のTVの視聴時間に関するアンケートというのにに答えなければならず、選択肢に0時間という項目がなくて困った覚えがある。

 

率直に言って、少なくとも1時間は見ているだろう...というアンケート作成者の前提がおかしいんじゃないか、と思った。

 

仮にTVをまだ見ていたとして、何がかなしくて朝から興味の薄い話題、聞く価値のない政治家のスキャンダルや汚職、先行きの暗いニュースに思考停止しながら耳を傾けて暗澹たる気持ちで一日をスタートして過ごさねばならないのだろう。

 

控えめに言って、時間の無駄すぎて、何のメリットも感じられないので、こちらから願い下げである。

 

情報が溢れる社会で混乱を生んでいる時期こそ、冷静にフォーカスするのは自分がどうありたいか、ではないか。

 

なぜ、多くの人はメディアという媒体を通して他人の時間を生きるのか。

 

自分とは直接的に会ったことも関係性もない人が起こした不祥事。

芸能人のゴシップや当人以外にはどうでもいい不倫の事実。

 

それで他人の気持ちを推し量れたつもり?

自分の目で確かめた訳でもないのに世の中の動向を分かったつもり?

信じるに値するかも分からないような安易な情報に踊らされて必要性の感じないものを買ってしまうの?

 

言い出せばキリがない。

 

TVのニュースなんて万人が必要としていそうなものを放映しているように見えて、裏を返せば抽象的すぎて、意外と役に立たない。

 

暗い気持ちにさせておいて具体的なアクションにつながるものは残念ながら、ない。

 

それならば、もっと自分で思考する時間を増やしていけばいいのにと思う。

 

誰かの与えた答えをもらって分かった気になるほど甘くないと思う。

 

情報は自ら掴み取るものだし、必要に応じてこちらが選ぶものだ。

 

垂れ流しにされた情報をただ拾いそれに踊らされるのはもうやめよう。

 

会社員をしていた頃、上司にもっとTVのニュースや新聞を見なさい、と叱責を受けたことがある。まるであなたのためを思って言っているかのように。

 

それでも、自分の意思を貫き通して、一切の忠告も聞き入れず、意見を通したところ、最終的には何も言われなくなった。

 

わたしは、自分の人生に夢中で、それだけで手一杯で、

他人の時間を生きるために裂く時間の余裕は1秒もない。

 

こちらがいつでも受け取る姿勢でオーダーすれば、おのずと必要な情報は与えられると思っている。

 

娯楽を担う役割は早々に他のメディアや要素にとって変わられているのが現実じゃないか。

 

「ほとんどの時間をプロフェッショナル〜仕事の流儀〜とか情熱大陸とか頑張っている人にフォーカスしたこちらも鼓舞されるようなドキュメンタリー番組をいっぱい放映すればいいのにねぇ」

 

とは懇意にしているお店の料理人の方の言葉。

 

なるほど。

 

まことにその通りだな、と思った。

 

そうすれば、わたしも見るだろうな。

 

まだTVを見ていた頃、唯一、嬉々として見ていた番組だった。

 

やはり、自らの意思で人生を切り開いていった人のいうことは一味違う。

 

是非とも、プロフェッショナルに出演された際は、ご連絡いただきたい。

 

各々状況は異なるものの平穏無事に過ごすことが出来ただけでほんとうに有難いと思う。

 

多くの人は、今以上によくあろう、もっともっとと欲張って多くを求めてしまう。

 

向上すること自体は、とても前向きなエネルギーで何も悪いことではない。

 

でも、今ここに当たり前にあると思っているものや、すでに持っているものの有難さをふとした瞬間に忘れていないだろうか。

 

ありがとう、の反対はごめんなさい、だという人がいるが、

 

実際、ありがとうの反対は、ごめんなさいではなく"当たり前"ではないかと思う。

 

普通にある事がむずかしいから、有り難う、なんじゃないかな。 

 

いろいろと前置きが長くなり、本来のタイトルの主旨とは些かピントがズレてしまったかもしれないが…

 

あけましておめでとう、宇宙。

 

ありがとう、宇宙。

 

これからの人生は、もっとワクワクして自分の時間を生きるし、誰に遠慮することもなく自分の人生に夢中になって、わたしと関わるご縁のある全ての人を幸せにしていきたい。

 

だから、これからもよろしくね。