あちら側の世界へ
日が沈む前に、ホイアンの街を散策してみようと思った。
ここが古の都と言われている所以を自分なりに探してみたかった。
わたしと言えば、ベトナムに着いて以来、空港とバイクの後ろに乗っかる時を除いてすっかりマスクとは無縁に過ごしている。
有難いことに空気感がまるで違うのだ。
それでも、報道の影響だろうか。欧米人をはじめ意識の高い旅行者たちはコロナウィルスをおそれて常にマスクをしている姿が目立っていた。
わたしからすれば、四方八方から空気の出入りがありまくりなんじゃないの?と思われるマスクをつけている人も少なからずいたりして、何事も本人の気休め次第ということ...か、と観察していた。
らしさを求めて、目の前にうまい具合に被写体が現れる度にシャッターを切っていたら、突然「フォト?」と両手で写真を撮る動作をしながら笑顔を向けてくるおばちゃんが現れた。
親切心からかお願いしてもいないのに、笠を被せられ、盛り籠を持つように言われ、断るすきもないまま、盛り籠を肩に載せられた瞬間、想像を絶する衝撃にも似た痛みともいえぬ重みが肩を貫いた。
「カクンっ」
そういってあまりの重さに折れ曲がる膝の音が聞こえたような気がした。
いやーーー、不意打ちすぎる!!!
おばちゃんに怒る気にはなれなかったが、もしも肩や腰が悪い人だったらひとたまりもないぞ...と思いながら、その場を立ち去った。
写真を撮ってあげるなどと言われても、あの重量で笑顔を振りまいている余裕などない、、、というほど重たかった。
人混みが必要以上に苦手なわたしにとって、歩くのに困らない程度に程よく空いている町並みは写真を撮るのも、いずれの場所でゆっくりと立ち止まることにも不自由しないのは有難いことだった。
まだまだ、私的ホイアンを探す、は続きそうである。
今宵、わたしの晩ごはんに選ばれたのは、ホイアン名物『ホワイトローズ』。
エビのすり身が米粉の皮で包まれた蒸し物である。
蒸したてのほやほやの透き通った姿は、まるで白い薔薇のように美しいことから、そのように命名されたとのこと。
不思議なことにこのホワイトローズ、ここホイアンでしか食べられない名物なのだが、どこで食べても味は同じということ。
どういうことだろうか?
よくよく聞いてみると、中の餡を一括して製造している元祖ホワイトローズ、いわゆる本店から市内の数店舗へ餡を卸しているという。当然、オリジナルで作るというこだわりはないのか?という疑問が湧いてくるのだが、過去に何度も考案者を真似て独自にアレンジしようと試みる店主が現れたというが、誰ひとりとして完璧に真似をすることは出来なかったという逸話つきなのだ。
ちなみに、わたしはその餡の卸をしているここ本店でいただくことにした。
今日ばかりは、海老アレルギーは忘れしまえ、と旅先で美味しそうなエビに出合うたび自らが海老アレルギーであることは忘れることしている。
上にかかっているのは、オニオンフライとガーリックチップス。
冷めないうちに、ひとつひとつ丁寧につまんで特製の甘酢につけていただく。
ほんのり甘いエビのすり身が柔らかい皮で包まれていて、それでいて白く美しいエロティックなルックスも手伝って、素直に美味しかった。
本当は、大皿で11個からが正規のオーダー数なのだが、ひとりでそんなに食べられないからハーフにしてくれる?というわたしのわがままにもお願いにも嫌な顔ひとつせず笑顔で対応してくれた。やさしいなぁ。観光地でありながら、こういう粋な計らいがここの人のやさしさなんだなぁ、と思わされた。
時計が19時をまわった頃、いよいよ本格的な夜のホイアンが顔を出し始めた。
あちら側の世界への誘いのようにも感じられる魅力的なランタンは季節を問わず、観光客の目を惹きつけている。
ホイアンの夜を象徴するランタンの美しさがここが遊郭であると言われても信じるに値するだけの視覚的情報が揃っていた。
ありきたりな言葉で表現するなら、千と千尋の神隠しの舞台、、、だろうか?
日暮れを合図に営業をはじめる露店や川沿いに所狭しと並んでゆく、ローカルのごはん処。観光客がひっきりなしに往来してますます活気をみせる。
ただあてもなくこれといった目的も掲げずにここの雰囲気に酔いしれることこそが最高の贅沢かもしれないと悟った瞬間だった。
21時になったのを合図に、明日に備えて宿に戻ることにした。
昼間来た道を記憶を頼りに戻っていく。
片道30分。
ホイアンの街中を抜けて公道へ向かう道すがら、夜のサイクリングをオンボロ自転車を相棒に楽しむことにした。
遅がけからオープンする露店。
大人こども混じって夕食をとる日々変わらないであろう姿、
庶民の生活風景がもろに見える...
好奇心の塊を抱えて
ホーチミンとはまた違う夜の姿に一人興奮していた。
そんな通りも抜け、どんどんと田舎へ戻っていく。
公道から田んぼ道が見える通りに差し掛かった頃、鈴虫やカエルの鳴き声なんかも聞こえてきた。
日本は冬なのに、こちらは夏休みに田舎へ帰省してきたような気分になっていた。
街灯が少なくなっても怖くないのは、まだこの時間ならかろうじてバイクや車の往来があるからで、チキンのわたしの心もこの時はまだ平生を保てていた。
公道から目印の看板まで戻ってきたところで、ここからいよいよ街灯がなくなるかもしれないというところを不安を抱えて曲がった。
田んぼや畑を抜けて、宿まで安全無事に辿り着かねばならない。
そんな使命感にも似た感情を抱えながら、
こんなことなら飲酒運転になってもいいから、しこたま飲んでくるんだった、と後悔しはじめる。
レモンジュースなんて注文している場合ではなかった。
「カサカサッ...」
「カサカサカサ...」
妙な音がする。
それが、たとえ風で物音が立っただけだろうが、小動物や小鳥が通り過ぎた音だけだったとしても、今のわたしには些細な物音が執拗に自分の心臓をバクバクさせるのであった。
角を曲がるたび向こうから野良犬や野生の動物が飛び出してくるんじゃないだろうか、というありもしない想像まで掻き立ててしまうほど、本当に怖い時って人は声が出せないんだな、とこの時思った。
何も起こらないに越したことはないけれど、同時にここで何か起こったら、これはこれでネタになるかも、と半分は全く別のことを考えている自分がいたりなんかして、ついに頭がおかしくなっちゃったのかなと思いつつも、何が起こっても受け止めなければならない、と妙に精神が鍛えられたような気がした。
真っ暗な畦道で...
道が二股に分かれていて昼間はたしかこっちから来たような、いや待てよ、あっちから来たかもしれない...という勘は辺りが暗闇に包まれるとまるであてにならないことを知った。
という以前に、目印を決めておいたクセに公道から田舎道へ曲がる通りを誤ってしまったことに遅ればせながら気づき、ようやくGoogle Mapを取り出して真剣に位置確認をおこなった。
意外と近い...
(Google Mapが提示する情報を信じるとすると、宿までの距離は自転車でわずか3分という距離にあった)
だからこそ、辿り着けないのか?
何なんだ、このジレンマは。
恥ずかしながら、畦道の無限ループにハマっている模様。
落ち着け、落ち着け。
暗闇から一筋の光を手繰り寄せるように、今自分はどこにいてどの方向を向いているのかということを今一度確かめた。
ようやく、宿の明かりと思われるものが見えた時、魂の底から安堵の息が漏れた。
これでもう安心だ、と思ったのもつかの間、
門を開けようと必死でダイヤルロックを解除している間、こんな時間に不審者が、と言わんばかりに宿のワンコたちに吠え続けられたことには心が傷んだ。
早く熱いシャワーを浴びて寝よう。
続く...