日本語の勉強
今日は、移動日だ。
ホーチミンの僅かな滞在も遂に最終日を迎えた。
これから、飛行機でダナンを経由して古の都の姿をとどめるホイアンへ行くのだ。
控えめに言って、僅かな滞在期間が中身のいっぱい詰まったものとなった。
それもこれもAnhという優れた人間性をもつホストに出会ったおかげだ。
どこへ行っても感謝することは共通していて、一ゲストであったわたしを最終的にひとりの友人として扱い大切にしてくれること、こういう経験こそわたしが心の底から求めたものであり、簡単にお金で手に入るシロモノではないからこそ、感動するのだとあらためて思った。
どちらからともなく再会を約束し、重ねてきた時間を記憶の中でさらに大切にしていくことを心に誓った。
ホーチミンを離れる前に、前日に朝からAnhの妹のために簡単な日本語のインタービューに答えることを約束していた。
弱冠ハタチの大学生であるAnhの妹(同じくAnhという。ややこしいのでここでは、リトルAnhちゃんとしておこう)は、大学で日本語を専攻している生徒なんだとか。
前日に日本語で簡単なあいさつを交わし、ベトナムに訪れた日本人というテーマでインタビューをしてビデオにまとめたいので協力してほしい、とお願いされていた。
とってもお世話になったAnhの妹のお願いを断る理由なんて見つからなかったけど、協力できるのは嬉しい反面、求められた日本人像にマッチするだろうか?と一抹の不安を抱えて眠りについた。
翌朝、日本語の自作の質問ノートを作って、リビングで待ち受けていたリトルAnhちゃん。
早速、本題に入る前に「どうして日本語を学んでいるの?」と聞いてみた。
彼女は、将来のためと答えた。
自分が日本語を使えるようになって仕事をしたり、旅人をもてなしたりだとか、実際に日本に行ったり旅をするうえで使いこなせるようになりたい、と明るく教えてくれた。
何も彼女だけに限らず、世界的に外国人の日本語人気はますます高まっているとは、先日来日したイラン人の友人女性が教えてくれた。
(日本語のネイティブのニーズのあるところで、カウチサーフィンなど旅先で宿探しをする際に、無料で宿を提供してもらえるツールになったりするというから、すごい...。)
これまで旅先を含めて、訪れた先で日本語を勉強している外国人に出会った。カナダ人、南アフリカ人、ベラルーシ人、台湾人…etc みな熱心に日本語を彼らの第三外国語として勉強していた。
世界でも類をみないほど難しい言語とされる日本語。勉強しようとする姿勢だけでも本当に頭が下がるくらい偉いと思う。
ひらがな、カタカナ、漢字にはじまり、話し言葉に書き言葉、丁寧語、尊敬語、謙譲語あげればキリがない...実際どれだけの日本人がキチンとした日本語を使えているのか、その辺りも怪しいのに。日本語を勉強している彼らの努力量を可視化すればそのうち抜かれるんじゃなかろうか、と己の立場も危うい今日この頃。
なぜ、彼らはあんなにも熱心に日本語を勉強しているんだろう。
日本語を話せる未来に彼ら自身が一番期待している、そう自身の中で回答づけることが今のところ一番しっくりくる回答というところに落ち着いている。
どんな言語でも生半可な覚悟だけでは習得なんて到底できないから、覚悟を決めて学ぶひとりひとりが姿勢そのものが尊敬に値する。
そんなことを想いながら、リトルAnhちゃんのインタビューははじまった。
簡単な自己紹介をおこない、どうしてベトナムに来たのか、とかホーチミンの第一印象はどうか?とか一生懸命作ったんだろうなと思わせる日本語のノートを片手に質問してくれる。
そんな一生懸命な姿に胸を打たれて、わたしも一生懸命回答した(ところどころ支離滅裂で噛みながら1テイクでは終わらず)
「最後に日本語を勉強している人へメッセージをください」と言われて、するりと湧いた感情が
人と比べる必要はない、自分の昨日からのどれだけ成長したか、その歩みを心から受け止めて大いに認めて褒めてあげてほしい、
というものだった。
あぁ、これはわたし個人の言語学習や新たな学びへのメッセージなんだろうな、と悟った。
最終的に2~3分のビデオにまとめて提出するという。
おかしいところは、編集で大いにカットしてもらうことを約束して無事に撮了となった。
理由はなんであれ大人になってから、外国語を習得しようと努力する、その姿勢こそが称賛に値すべきことなのだ。
継続して学べば学ぶほど、壁にぶち当たり、行く先に迷うことなんてしょっちゅうあると思う。
だからこそ、不安になったときの処方箋は人と比べないこと、そして小さな成長を喜ぶこと、加えて時間がかかることを肯定することを自身を支えるツールとしてもここに記しておきたい。
夢は大きく。
わたし自身が日々成長すること、そして、何よりも彼らの思い描く日本の未来を壊さないように日々今できることを精一杯やっていかないといけないなと思った。
人に流されて生きる時代は終わった。
外側に変化を求めても何も変わらないのだ。
ならば、自分から変わるしかない。
人それぞれのタイミングというものは必ずあると思うから、波が来た時にキチンと乗れるようにまずは目下なりたい像に近づくために出来ることにフルコミットで努力を重ねていこうと思った。そうすることが明日の糧になると信じてやまない。
このブログだってそうだ、やろうと思ったときこそがそのタイミングでいつかやろうのそのいつかは決してこないだろう、それだけの想いではじめることにした。
継続7日目。
ようやく一週間。
セミの寿命と同じだ。
続く...