記録と記憶
2泊3日の中日にあたっている本日、
観光というと大袈裟ではあるが、自分の足でホーチミンの散策をしてみることにした。
15時にはAnhと待ち合わせをしているので、それまでなるべく急かされず街の雰囲気を味わってみることにした。
通りがかりにたまたま見つけた本屋さんが並ぶ通り。
一軒おきくらいにカフェと本屋が交互に並んでいるようで、通りもかなり洗練されている。古本屋さんの中には、はるばるやってきたのだろうか、日本の本もあったりする。
お一人様がカフェでくつろぐ姿、若者たちが和気あいあいと過ごす姿からここが憩いの場と化しており、自分もビジターでありながら、自然とこの通りに溶け込んでいることに気づく。
真冬の日本から比べるとホーチミンの日中の気温は35℃を上回り狂気じみているとしか思えないのだが、ひとたび日陰に入るとそこにはカラッとした空気が流れており、汗ばんだ身体もその空気に触れることで許せたりする。
思いの外、時間が立つのが早く感じてしまうほど、あっという間に約束の15時になってしまった。
現在地を伝えるとAnhがバイクでMaison Marouまで迎えにきてくれた「外が暑すぎたから少し涼ませてほしい」の一言で休憩することに。そして、Anhの一言から今日という猛暑日が現地民にとっても狂気じみた気温であることを無意識に悟った。
「何が飲みたい?」
バイクに乗せてもらうお礼に何か飲み物をごちそうする、と伝えるとおもむろにメニューをチェックしに行くAnh。戻ってきた姿にあらためて、
「決まった?何が飲みたい?」と問いかけると、
無言で首をふって「高すぎる」の一言だけを発すると「出よう」と促す、Anh。
「いいから、オーダーして」
とこちらも怯まずお願いすると、ますます彼女の顔色が悪くなっていってしまった。
彼女の気持ちを汲み取ると、やはりあそこは高すぎる...ということらしい。もっと安価でローカルなお店を知っている彼女たちにとっては、ただの観光客のためのお店、という風にしか映らなかったのだろう。どこの国へ行っても大抵同じようなことが言えるから気持ちは分からないでもないのだが...。休憩したがっている本人を前にして、飲まず食わずにさせるのも、となんだか申し訳ない気持ちになったけど、せっかくの意思に無理やり歯向かうのもどうかと思い、志は別の場所で示すことにした。
店を後にしてすっかり気を取り直したAnhに「これからどこへ行くの?」と尋ねると「戦争記念館へ行く。あそこにはぜったい見ておかないといけない」と意志が固い様子。
気持ち的には正直のところ「う~ん...」という具合だった。今回、ベトナムにきた理由が戦争に関することへの理解やそれらの情報のアップデートではなかったことも手伝って、気分がすっかり違う方向を向いてしまっており、あまりというか全然乗り気になれなかった。
誤解のないように言っておくと、戦争に関する地域を訪れること、それらを理解しようとする気持ちは人並みかそれ以上に持っているという自負がある。過去に日本でいうところの広島、長崎、知覧(鹿児島)、沖縄をはじめ、昨秋には念願叶ってようやくポーランドのアウシュヴィッツ収容所へも自らの意志で足を運んだほどだ。
ただ、こんなに長々と前置きをしたにも関わらず、今回どうしてなかなかそういう気分にはなれなかった...。
でも、せっかく現地民に市内を案内してもらえるチャンスだからと無理やり自分の気持ちを奮い立たせて現地へ向かった。
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結
果
、
ざ
ん
ぱ
い
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惨敗の一言に尽きる。
気持ちが乗らなかったのに行ったというよりもむしろ連れて行かれた身として感想を述べさせてもらえるなら、酷すぎて見ていられなかった。屋外と2階に分かれて展示される館内。過去の映像、写真、実際に残されたもの...口で言ってしまえばそれだけのことなのだが、2階に足を踏み入れた瞬間に、残虐すぎる行為やその爪痕が生生しく残りすぎていて、写真が訴えかけるメッセージという枠を超えているような気さえした。そして、同時に自分が受け入れられるだけのキャパシティを有に超えたと思い、失神してしまいそうになった。
ベトナム戦争の記憶と記録。
あまたの虐殺、枯葉剤によって変形してしまった人間とは思えない姿かたち...もう、過去の比ではないと思った。
西洋からの来訪者が圧倒的に多く、むしろ、平然と見ていられるのは余程肝が据わっているか理解を示したい気持ちの現れなのだろうか。彼らの気持ちがわたしには理解できなかった。あれほどまでに刺激的な戦争記念館はわたしの経験上どこを探してもなかった…。
申し訳ないが、本当に写真も一枚も撮る気になれなかった。
今回が3回目にあたる彼女。どうして同じ場所に何度も足を運ぶのかという疑問には、定期的に中の展示内容が変わるから、とのこと。まだまだより深く見ていたそうなAnhにことわって、これ以上は無理だ、と正直に伝えるほかなかった。
実際に行った人なら分かるだろう。
頭を冷やしたい、一刻も早くあの場から立ち去りたかった。
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Anhのバイクに跨り、ドライブスルーでホーチミンの街を案内してもらった。今度は、わたしが気を取り直す番だった。
夕刻になり、ようやく気持ちも落ち着いてきた。一旦、忘れよう。
本当は、忘れてはいけないのだろうと思いながらもそうでもしないと立ち直れないと思った。
昨日食べたフォーの話をしたら、フォーではないローカルヌードルの美味しいお店があると言って、本当はそこへ連れてきたかったようだが、あいにく麺処は閉店してしまった模様。
それならと焼き鳥の店へ連れて行ってくれたが、「これニワトリじゃないからね」と説明され、よく見るとそれは姿かたちをそのままにとどめた正真正銘の小鳥の焼き鳥であった。日本にはなかなかないスタイルだなと思った。スパイシーな特製ソースをつけてむしゃむしゃと食べるとこれまたビールが進みそうだったが、今日は気分的に自粛した。サイドディッシュに揚げ餅とピクルスのような野菜。Anhがいなければ、屋台めしも食べることはなかったなと感謝した。
この頃には、なんとか平常心を取り戻していた。
ごちそうさま。
続く...