旅と時々、アファメーション

旅と時々、アファメーション

チキンだけど、冒険好き。

フォー、らしさを求めて。

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はじめて訪れた旅先で割とどこでも寝付きがよく、朝も早よから目覚め活動することに抵抗はなく、最近はそれが自分のスタンダードであることに気づいた。

 

典型的な朝型人間。

 

言ってしまえばそれだけの話なのだが、

 

今朝も早朝からホストの出勤時間には自らの身支度を概ね整えていたものだから、逆に起こしてしまって悪いことをした、と謝られてしまった。

 

実際、その心配は御無用。

 

かつて、幾度も人様が運転する助手席で堂々と寝るものだから、上司に肝が据わっている、などど笑いものにされたほどである。

 

実際のところ、肝が据わっている訳ではなく、ただただ有難いことに寝床に関する悩みを今のところ抱えていないだけなのである。(それにしても、堂々と寝るなよ、とツッコミたいところではあるが)

 

この点において、旅人向きなのかもしれない。

 

さて、旅先でわたしの楽しみといえば、ローカルの通うところのローカルフードに思う存分浸ることである。

 

数年来、わたしはベトナムフードにはちょっとしたこだわり、というか想いがある。

 

ベトナムに訪れることこそ今回がはじめてであるが、地元京都で懇意にしているベトナム料理店がひっそりと存在するのである。

 

本当は、秘密にしておきたい気持ちをグッとこらえて種明かしをするが、その名も『コムゴン』

 

オーナーは日本人であるが、厨房にはベトナム人と思しきコックの姿がちらほらと見られる。

 

フォーに始まり全てに通ずる清きスープの完成度、また現地のおかずの一品一品にリアルなベトナムが感じられる。

再現模様がまことに忠実で、かつ、お財布にもやさしい、ということをここだけの話、声を大にして言いたい。控えめに言って、美味しすぎるのである。

食の宝庫また台所と言われている京都で、現地に行かずして、これほどまでに人々を感動させる料理を提供する店に出合ったおかげで、実際に現地に足を運ぶまでに数年の年月を要したのは言うまでもなくコムゴンのせいである(感謝している)

 

過去に何度も友人を紹介し、時には偏食家を連れて来店したこともあるが、存分に満足して、ひとつ残らず美味しく平らげてもらったほどである。わたしはおろか偏食家の彼自身がいちばん驚いていた。

あっぱれ、コムゴン!(そして、心のどこかでわたしにも感謝してほしい...。)

まとめると邪推は抜きにただただ訪れてほしいお店のひとつなのである。

 

...といった具合にすでにわたしの中でベトナム料理のクオリティーに関する一定のラインが存在するのである。

 

一昔前と比べて人々の旅行の趣旨が少しずつ変わってきていると思うのはわたしの思うところに限った話ではない。お取り寄せグルメにはじまり日本全国津々浦々、現地に行かずして、ご当地の味が簡単に手に入る時代になり、たしかに、海外の料理においても現地でしか味わえない料理を食べるためには旅先へ赴かねばならない、という決まりはなくなり、旅行業界も近年ちょっとした変化を生んでいるのではないかと思う。

加えて、ローカルフードを美しく忠実に再現することにおいて、日本人を除いてでこれほどまでに長けた人種がいるのかというと、このカテゴリーにおいての日本人の巧みさは、圧倒的に強く、世界中どこを探してもそうそう右に出るものは見つかるまい、と本気で思っている。

料理を忠実に再現(=真似)し、日本人が丁寧に作ることによって、時には現地の味を凌駕してしまうことに対する善悪の追求は、この際脇においておくが、本当に素晴らしいことだと誇りに思っていることをここにことわっておきたい。

新たなものを生み出すことに長ける欧米人、対して既存のものを忠実に真似るということに関しては、黒船がはじめて日本にやってきて以来、変わらぬ日本人のアイデンティティーのひとつなのかもしれない。

だが、時代はどんなに便利になっても、わたしは実際に現地に足を運ぶ、という選択を大切にしていきたいと思うひとりである。ローカルに混じって、その地の雰囲気を感じながら、日本を出ずしては味わえないであろう感覚に全身の神経を集中させて、視野を広げることに意識を向けたいのである。

 

というわけで、いざ本場のフォーを知る探検のはじまりである。

 

前日に、どこか美味しいフォーのお店があれば教えてほしい、とAnhに聞いてみたものの、ホーチミンのフォーはあまり期待しない方がよい、という肩透かしを食らうような返事をもらってしまった。 旅先でローカルにおすすめのお店を聞くのは旅の常で、同じような感覚を持っている旅人が一定数いることを思うと、Anhにすればもう何度もこのようなやり取りをしているのかもしれない。

 

しかし、本場の美味しいフォーを食べるのもわたしの旅の目的のひとつであったから、実際に口にするまではいかなるジャッジもすまい、と高まる気持ちを抑えられず、Anhの忠告にも似た助言を無視するほかなかったのである。

 

宿から、フォー屋さんまでを東南アジアのUverにあたる、配車サービスのGrabというアプリを使って呼び寄せた。

 

噂には、聞いていたけれど、目的地を入力するとものの数分で現在地までの迎えがきてくれる。この時も例外ではなく、実際の目的地の確認をおこなった後、ヘルメットを渡され、あっという間に目的地へ向けてスタートしてしまった。距離をメーター換算され、運賃を事前にクレカ決済で済ませているし、金銭に関する無駄なやり取りも発生しない。現金決済も選べるようだし、まことに汎用性が高く安全である。これほどまでに便利とは...Grabやりおる。

 

あくまでも安全運転は意識しつつも、ものすごいスピードで駆け抜けるバイクの後ろに乗りながら、ローカルの生活が垣間見れる通りをすり抜け、幾度もバイクや車を追い越して、時に爆走する、お兄ちゃん。自分はただ後ろに乗りながら、ベトナムという国を肌で感じることができるのは、なんとエキサイティングで素敵な体験だろう。そして、何より軽快なスピードで絶叫好きとしてはたまらない興奮を味わわせてもらえる。これは病みつきになりそうだ。ただのバイクという乗り物がこの時ばかりはまるでジェットコースターに成り代わったような瞬間だった。

 

20.30分走り続けただろうか、ようやくフォー屋さんに到着。

バイクが停車することが「着いたよ」の合図で、いつもこの瞬間、バイクから否が応でも降りなければならないときが、一番悲しい気持ちにさせるなと思う。

 

59,000ドン。

 

日本円に換算して277円。(安っ)

 

安すぎやしないか、このアトラクショ... 移動手段。

 

きっとまた刺激を求めてわたしは使うんだろうなGrabを。

 

この際、自分で探すしかないなと思ってGoogle Mapを頼りに探し当てたフォー屋さんはトッピング用のハーブが盛り放題というのを売りにしているこちらのお店。

写真の通り、フレッシュさも感じられたのである。

 

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フォーガー 77,000ドン(日本円換算:363円)

 

店に入るなり、フォーガー(鶏肉の米麺)を注文した。

 

着席からものの5分も立たぬうちに配膳され、食べる前にハーブを好きなだけちぎって投入することを教わった。また、スタンダードの味に飽きたら、唐辛子やライムをギュッと搾って、チリソースをはじめとした調味料をお好みで足すとなおよし、とのこと。

 

いざ、実食。

 

まずはスープを一口。

 

「・・・・。」

 

ここまでひっぱっておいてどんなに美味しいフォーを期待させたか定かではないが、率直に言って、わたしの期待したコムゴンのような感動が感じられない。

 

シンプルではあるが、ゆえに深みがないとも言える。

 

ベトナム料理は調味料の加味あってこそ、という誰かの助言を思い出し、食卓にあった数種の調味料を足して、調整を試みるも

 

「あれ・・・?」

 

といった具合である。

 

これ以上、あれやこれやと足しても余計にややこしくなって深みにハマりゆくだけだと思って途中でいかなる調味料を足すこともやめてしまった。

 

多分にわたしが現地のフォーを食べ慣れていないせいで、カスタムのセンスに乏しいのかもしれないが、探し当てたはじめてのフォー屋さんは、言葉を選ばずに言うと、不味くはないけれど、決して特筆するほど美味しくもない、という結果に終わってしまった。

 

うーーーん(?)

 

わたしが日本で育てたフォーに対する既知の思い込みはこの際捨てるべきなのか?

 

(自問自答)

 

いや、それがいくら日本人好みの味にされていたとはいえ、もっと美味しいフォーがかならずや存在するはずだ。

 

…でないとはるばる来た意味を証明できない、くらいに深刻に思ってしまった。

 

という訳で、フォーの本拠地ここベトナムにおいて、フォーの横綱を探しあてる旅はそうそう容易ではなくまだしばらく続きそうである。

 

続く...