旅と時々、アファメーション

旅と時々、アファメーション

チキンだけど、冒険好き。

この世界から音が消えた日。

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8月4日。

 

この世界から音が消えた。

 

ここは、まるで無風空間。

 

エンジンをブイブイ言わせて車道をゆく不機嫌そうな車の声も、

 

お嬢さん方の甲高い笑い声もなんのその。

 

どこの誰か分からない人の愚痴も、

 

変わらない世の中に対する嘆きも、

 

一気に遮断された。

 

何コレ?

 

この世界には、わたしだけしかいないような錯覚を覚えた。

 

巧みに映像編集されたCMの中で、俳優やモデルが街をスローモーションで歩く姿を見たことがあるだろうか?

 

まさに、あんな感じ。

 

それが、わたしがキミに対する第一印象だった。

 

優秀すぎる。

 

.

.

 

昔から、よく分からないものに対するガマンが苦手で

 

それらをやめるか変えるかせずにはいられない性格のわたしは、

 

たった1日1,000円の先行投資を1ヶ月でペイ出来てしまう

 

優秀すぎるガジェットに恋をした。

 

これまでも有意義な時間を得るための手段には、最課金をしてきたが

 

それでも、ここ最近の中でもなかなかすぎるよい買い物のひとつだった。

 

”集中力”なんて、あからさまに売ってないけど

 

これは、つけた瞬間に無限の可能性を秘めている機械であることが素人目に分かる代物だった。

 

あなたに対するキャッチコピーなんていとも簡単に浮かんでしまう。

 

まるでクラスの人気者かのように。

 

これまでにも、ワイヤレスイヤホンを使っていたし、

 

キミの先輩は、かの有名なBOSEからお嫁に来たから、

 

彼女もまた非の打ちどころがないパフォーマンスを日々奏でてくれた。

 

しかし、唯一の欠点は、Macとの互換性がなかったことだ。

 

一度、ワイヤレスイヤホンを使用するともうコード付きには戻れないというのが正直なところだった。

 

しかし、である。

 

Macで使えないという致命的な欠点を持つがゆえ、その度にいつのものか知れぬコードのイヤホンを取り出してきては、手指にスパゲッティのように絡むコードに苛々しながら、耐える...という日々を悲しきかな送っていたのである。

 

 

 

 

 

ヨガで必死に鍛えた腹式呼吸丹田から息を吸いながら、無心でコードを解くのが精一杯であった。

 

そんな日々を一変するようなお買い物であったノイズキャンセリングイヤホンってこんなにすごいのか...

 

わたし無敵?

 

正確には、わたしは無敵ではなくてそういうものをつくった人が偉いのだ。

 

ゾーンに入るってこういうことか...

 

音源もなかなかだし、集中力もいつにも増して上がっているようだしお主やるなとApple信者になるともなしに増えてゆく、ジョブズの息がかかったデバイスやガジェットたち。

 

愛していますよ。

 

 っと、いう訳で...

 

お盆は精神と時の部屋に帰省して鬼作業するとしますかな。 

 

よろしくね。

 

amzn.to

 

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diary -日常をストーリーに出来るか-

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ブログを書くようになってから、

 

生活の中で些細なことにも思考を深めるようになった。

 

他人からすれば取るに足らないようなことでも、自分にとって大切な気づきであればメモにとっておく。

 

急いでいる時は、携帯のメモアプリに荒っぽく思いついたキーワードだけでも打っておく。

 

あとで振り返った時に、そこからブログに派生することも多い。

 

本当に、毎日が気づきの連続になった。

 

四六時中、コンテンツについて息を吸って吐くように考えていたり、

 

あれやこれやと切っては貼るような作業を頭の中で繰り広げたりしている。

 

時には、夢の中でも考えていたりする。

 

楽しい。

 

感情がうまくまとまっていかない時、もがきながら、それでも言葉にしようとすると自然と苦が楽に変わっていく...

 

嫌なことや消化できないこともブログに書けばいいか、と無駄に怒らなくなったことも好転作用のひとつと言えるかもしれない。

 

わたしは、芸人でもYouTuberでもないので、

 

気をてらったり、盛る必要は全くなく

 

淡々と等身大の毎日の気づきや想いを綴る、

 

それだけです。

 

ブログ=公開日記?

 

これまで個人の日記として書いていたものが、書く場所つまりプラットフォームが変わっただけなので、いつも誰かに向けて書いているようで、一番は自分に向けて書いている部分が多かったりします。

 

(でなきゃ、若造が世の中に対して偉そうなことを綴っていることへの辻褄が合いません...。)

 

昔に読んだ本や出会った人の文章...

 

もちろん現在進行形でインスパイアされているものも多くあるけれど、

 

過去に、この人は文章の申し子だな、と思う程、文章がうまい人の文章に触れて感動して、自分も少しでも近づきたい、としたストレートで純粋な想いがブログを続けるエネルギーになり、活力を与えています。

 

忘れられない衝撃みたいなものが今もずっと心のなかに残っていて

 

映画なんかと同じように大好きな作品として、心に刻まれている。

 

先人たちに、最高のオマージュを込めて、わたしもなるべく自分の言葉で背伸びしたりせず、等身大の自分になって書いてみようと書き続けていた当ブログも気づいたら、100記事にまもなく到達しようとしています。

 

たくさんの愛を持って育てています。

 

今年の2月に恐るおそるスタートした時は、長い物で1記事2000〜3000文字を書き上げて、それを推敲して公開するのに5.6時間かかっていたものが、

 

ここ最近は、小1時間で書けるようになりました。

 

継続してきたことのご褒美が時短というスキルで遅れてやってきたようです。

 

嬉々。

 

実は、パソコンの前に座る時間なんて知れていて、

 

ほとんどは、散歩したり、ご飯をつくったり、コーヒーを淹れたりしている時間に

 

どこかから言葉が降ってきて、

 

それを切ったり貼ったり

 

レゴつくる少年のような楽しさを持ってやっています。

 

日常の全てがコンテンツになり得る要素を持っているという気づきも得られました。

 

”百点級の面白いネタがあったから、書くぞ!”

 

(素晴らしい!)

 

...もいいのですが、面白いネタなんてそうそうない訳です。笑

 

せいぜい30点くらいのネタしか転がっていないんじゃないかというのが本音かと。

 

役に立つかは別として、日々いろんな角度から物事を見ていくといろんな気づきがあって、つまり自然と書くネタになるというのは、ブログをやったからこそ得られた気づきでした。

 

ネットの世界なんかでは

 

よくブログを続けていたら

 

文章力が上がる、とか上がった、とか

 

言ったりする人がいるけれど、

 

それって他人が判断するもんじゃないの?とわたしは思います。

 

少なくとも、自分では上がったなんて分からないというのが正直なところです。

 

そもそも文章力が上がる、って何(笑)

 

文章が上手いってこと?

人の心が動かせるってこと?

 

伝えたいことが伝えたい相手に届くってこと?

 

.

.

 

それって、自分で分かんのか、と。

 

自分で言ってる時点でハズいわ、と私なら思います。

 

個人の主観の問題ですかね。

 

.

.

 

そんなことよりも問題を定義して哲学する力が育まれたように思っています。

 

Whyの深堀りじゃないですけど、自分が見たり感じたりしたことをこれってどうなんだろう?と思考を深めていきます。

 

時に、答えが出たり、出なかったり。

 

答えを導き出すことが目的ではなく、思考を深め自分の考えを明確にすることが目的なので、答え合わせは、まだ先でいい、と思っています。

 

正解は、きっとその時の自分の置かれた状況によって変わるだろうし。

 

わたしは文章力が上がった、とかはたぶん一生書かないと思いますが、今日も言論の自由のもと、書きたいことを書かせていただいて、ここまで読んでくださりありがとうございます(...と言いたい)

 

という訳で…

 

(どういう訳で)

 

今日も一方通行であれだけど、

 

「寝れない夜に読んだら、安心して寝れたよー」とか

 

「こころがやさしくなれた」とコメントをくださる方

 

わたしはそんな有難いコメントを栄養に、今日も筆を執る、あらためキーボードを叩いています。

 

感謝。

言霊の幸ふ国に生まれて

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”誰のどんな声を聞いていくか”

 

変化の連続で、これほどまでに情報過多社会になってしまった今、

日々の選択と決断の連続で思った以上に多くの時間が取られている現代で

いつも意識していることだ

 

.

.

 

ルーツはどこにあるのかと聞かれれば、

 

答えはあの頃にしかない。

 


自分が人生の暗い沼にいた頃、すがる藁(わら)すらも上手く見つけられなかった頃

 

あなたの挑戦を、未来を応援してくれる人の声に耳を傾けて行ったらいいんだよ

 

そんなやさしい言葉を、見えない何かに怯えて震えていた自分に、母が寄り添い、そっと毛布をかけるように与えてくれた言葉だ

 

.

.

 

わたしはとんだあまのじゃくだから

 

世間的に正しいとされているような、

 

意見の全てを満遍なく聞くことが出来ない

 

所謂いい面だけを切り取っただけの言葉に

 

違和感を覚えてしまう時がある

 

たとえば、感謝という言葉。

 

日本人なら、多くの人がスピリットとしてすでに持っている言葉だが、自己啓発本なんかではその必要性をあらためて取り上げられたりしていないだろうか?

 

”感謝は大事”

 

でも、それって言われてするものだろうか。

 

ほんとの感謝は、言われなくたって自然と心の奥底から湧き上がってくるものじゃないだろうか。

 

いつも傍にいてくれる人

 

忙しい合間を縫って会いに来てくれて

 

同じ時間を共有しこちらの話を熱心に聞いてくれる人

 

当たり前じゃないと思えた事柄の全てに「ありがとう」が自然と湧いてくる

 

.

.

 

先日、常日頃から感謝を格言として掲げ、

 

何百人もの部下や社員を統率する立場にある人から、

 

「感謝、感謝。感謝が大事と言われても出来ひんねん」

 

と相談された。

 

「...。」

 

.

.

 

馬鹿にしている訳じゃない。

 

でも、何かがおかしい、と思った。

 

適切?に言語化するなら、

 

本心から思っていることをやらないとそのロジック崩れるよね、というハナシだ。

 

「この言葉いい言葉だから〜、あなたも〜」と

 

おかず作りすぎたから食べて、のノリで押し付けがましく持って来られると

 

全力で逃げたくなる

 

他人の受け売りかよ、って。

 

「カレー、好きやろ?」

(いや好きやけど、食べたかったら自分から食べに行くから...)

 

みたいな。

 

偏見で言っている訳じゃなくて、ちゃんと話を聞いて中身を知った上で

 

そんな綺麗事聴けるかい、と心の中で毒を吐いてしまう

  

反対に、

 

その人らしさが溢れたような言葉の数々には

 

必要以上に反応してしまう生き物だ

 

これ、この人の本心からの言葉だな

 

魂が乗り移ってる...

 

そんな感動や情熱を感じてしまう

 

同じような一言でも、聞ける人がいるのと否かの境界線にあるものは、

 

その人の経験に基づいて、

 

何度も咀嚼されて出た言葉かどうか、

 

きっとこの差なんだと思う

 

好きな人からもらった言葉..

 

尊敬する恩師からいただいた言葉...

 

会ったことは一度もないけれど、

こちらが勝手にメンターにさせてもらっている人の言葉...

 

そんな人たちがくれる言葉はいくつになっても

 

自称いい子になって、素直にスッと胸に染み込んでくれる

 

言葉の力は偉大だ

 

心に滲みる言葉は、ひとりの人間を変えてしまう

 

そうやってお気に入りの言葉を集めて

 

自分に魔法をかける。

 

きっと出来るよ、って。

 

心が変われば行動が変わる

行動が変われば習慣が変わる

習慣が変われば人格が変わる

人格が変われば運命が変わる

 

いろんな言葉がわたしを支え、今をつくってくれている

 

この場を借りて、ほんとに本当にありがとう

 

自分は、与えてもらった1ギブバックも出来ていないかもしれない

 

それでも、信じた道を突き進むことで

 

間接的にも、どこかでまた別の誰かを救うことで恩返ししたいと思う

 

.

.

 

期せずして、真夜中から感謝について綴っていたら、午前様です。

(只今、4:13 amです。)

 

徹夜しても、元気に動ける身体に産んでくれてありがとう!

刹那

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人は悲しいくらいに忘れてしまう。

 

だから写真に撮るのだろう

 

どんな瞬間も心の中でバズが起こるたび、

 

何度も何度も心のシャッターを押せば良い。

 

文章だってそうだ。

 

人は、感情で動いている生き物。

 

日々の生活の中で取るにたらない些細な「心が動いた瞬間」をメモしたり、

 

記憶に強く刻んでおくといい。

 

役に立つかどうかで決めちゃダメだ。

 

あの日、あの時、これいいなと思って、

 

メモっていたことが数年の時を経て気づきをもたらすことがある。

 

こういうタイムラグ、のあるギフトっていいよね。

 

効率化や見えている現実ばっかり慮らず、

 

圧倒的に心に響いたかで決めよう。

 

そこに理由は、すでにある。

 

見たい景色にこだわろうよ。

 

そういう刹那の連続が未来をつくっていくと信じてる。

リベラルな考え方

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久々に、定期券を買ってみた。

 

社会人2年目から、生意気にも車通勤をはじめたわたしが”テイキ”なんぞ買うのは、約10年近く振りになる。

 

そして、8月よりわたしの勤務地は、京都の街中のどこかのスタバになった。

 

自宅から現地までの定期代が7600円。

 

お気に入りの空間とコーヒーに、お金を払って月10,000円ちょっと。

 

これ、高い?

 

(たまに、チーズケーキとかご褒美に食べるかもしれないから、もうちょい上乗せしとくかな?)

 

捉え方は人の数だけあると思うけれど、現時点においては、わたしにとってはコスパがいいと思える選択と投資だ。

  

即席、ひとりコワーキングスペースの完成。

 

室礼はもとより、空調設備も環境も完璧。

 

お気に入りの空間で文章書いたり、デザインしたり、インプットしたり。

 

最高じゃん。

 

コワーキングスペースの月額代っていくらくらいだろう?

 

意見交換ができる、など、場所の提供以上の価値を見出せないとなかなか利用するのはむずかしそうな予感(自分は)

 

ちなみに、わたしのコワーキングスペース(スタバ)は、空間も音楽もお姉さんの笑顔も最高だよ。

 

コーヒーは行きつけの喫茶店のマスターが淹れた方が美味しいかもしれない。

 

でも、いいんだ。

 

もう時効だから語りますが、会社を辞めた理由に、空気環境の悪さが手伝っていたという事実があります。

 

いくら分煙されていたとて、男社会の中に紅一点で働いていた煙草を吸わないわたしにとって、狭い空間で皆が仕事の合間にスパスパと吸っては戻り、をくり返している環境は、

 

フィジカルにしんどかった...

 

やさしい人も多かったし、人として優れている人にも出会えた。

 

でも、匂いや空気環境の弊害は思っている以上に大きかった訳です、ハイ。

 

忍耐...

 

わたしは、この言葉を高校時代、校訓として毎日飽きるほど言われ、学校中の至るところに掲げられている筆文字を見続けていました。

 

どれくらい厳しかったか、というと

 

例えば、厳しい保健体育の授業でクラスの誰か一人でも、

 

居眠りの舟を漕ごうものなら、

 

授業中であっても、連帯責任で校庭を外周させられた。

 

何度も、何度も、くり返し。

 

またある時は、地毛が茶色だということを信用してもらえず、学年集会の際に、髪の毛を引っ張り上げられた。

 

今時、そんなパワハラみたいな学校...

 

あるんです。

 

正確には、あったんです。

 

卒業して10年経った今では、随分と丸くなったと風の噂で聞きましたが...

 

でも、その環境に耐えられたのも、

 

当時は、何の疑いもなくそうあるべきだと思って頑張れたのも、

 

その忍耐が要される環境の中で”頑張る意味”を見出せていたから、なんですよね。

 

言わされている訳でもなく、今でも心からそう思います。

 

その先に、未来がつながっていると信じて、目には見えない、でもたしかにあるものを掴み取っていこうと決めていたからなのです。

 

しかし、

 

会社に入ってからは、少し違いました。

 

我慢の上に成り立つもの、そこから生み出されるものってなんなんだろう。

 

こんな事を考えたりしていました。

 

語弊がないように付け加えると、わたしは会社を自分の仕事を愛していました。

 

もうここで学ぶことは何ひとつない。

 

そう後悔なく、言い切れるのは、自分の役割の中で責務を果たすことに躍起になっていた過去があるからです。

 

会社員時代、ガムシャラに時には怒られながらやっていた頃が一番伸び代があったと思います。

 

しかし、中堅どころになり、期待の目を向けられる頃に次第に、でもたしかに失われてゆくもの…

 

野心でした。

 

安定した環境の中で、自分は会社という組織に守られながら、時にそれを縛りに思いながら、何に挑戦するんだろう?

 

こう考えている時点で、「しない」と言っているようなもんだ。

 

このままでは、きっと甘い汁を吸わせてもらっている状況に甘んじて、たいした行動もしないまま三十路街道を突っ走るだろう。

 

(怖ろしい...)

 

これから自分は何に目を向けて、誰とどんな風に関わっていきたいのか。

 

もっと言うと、何を生み出していきたいのか。

 

魂に問い掛けるように、そう言った問いかけをし続けていった結果、会社を去るか、どうかの答えは、明確になりました。

 

.

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ところで、話は一人コワーキングスペースの話題に戻りますが

 

”京都の街中に自分の城を構えようものなら、家賃は月額いくらだろうか?”

 

先日、こんなやり取りをしましたが、

 

正確な金額は慎みますが、わたしも含め、意外と皆が思っている以上に高い、というのが実情だと思います。

 

一人暮らしに憧れる人は多いですが、そこに自分が居ない時間も加味して家賃を払っているんでしょうか?

 

働きに出て、夜に帰って寝るだけ生活をしている人は実質的には、自分がいない間の空家賃(というべきか荷物を置くだけの倉庫代?)にかなり高いお金を払っているんじゃないかなぁとわたしは考えたりします。

 

不毛な議論になりそうなので、この辺でやめておきます。

 

.

.

 

わたしはどうやら、考え方次第で変わる意味づけをするのが好きなようです。

 

働く場所を変えてみる、良さは色々ある。

 

わたしは、新旧入り混じる、京都という街が好きです。

 

自宅から敢えて離れたところに通うことで、自宅に籠っていればすることがなかった運動が出来、歩くことで脳にもよい刺激を与えてくれる。

 

コワーキングスペースに辿り着くまでの過程で、街中を颯爽と歩く、お洒落でいかにも仕事ができそうな女性の姿を目の保養にできることはもちろん、

 

スタバに着けば、圧倒的にお洒落な空間に身を置ける。

 

早朝7時からお店がオープンしているので、早起きもできる。

 

加えて、人間観察も出来る。

 

マーケティングにつながる。

 

他者が参考書や本を広げて学習している姿にも感化される。

 

(これは大きいな。)

 

ここに挙げたのは、あくまでも一例ですが、

 

お金を払った以上の価値に、いろいろインスパイアされる訳です。

 

いつまで続くだろうか。

 

.

.

 

正直、分かりません。

 

飽きたらやめればいい。

 

全ては、自分で決めたことだから。

 

結局、全て自分でやってみないことには、分からないんですよね。

 

小さくはじめて、大きく意味のあると思える行動をし続けたいと思います。

 

おしまい。

スイッチを押すとき。

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”やる気スイッチはどこにありますか?”

 

という質問に、

 

ある人は、PCのキーボードの上と答えたし、

 

またある人は、珈琲かな、と答えていた。

 

十人いれば十通りの答えが得られるだろう。

 

わたしは、モチベーションは確実に存在すると思っている口の人間だったが、

 

最近、多くの結果を出す周囲を見ていて、ひとつの共通点があることに気づいた。

 

それは、彼らはモチベーションという最も気分や感覚的に左右されるものに頼っていない、ということだった。

 

アップダウンがある、浮き沈みの激しいものをはなから当てにしていないのだ。

 

では、どうしているのか?

 

それは、モチベーションなどに頼らず、淡々と自らが定めた目標に向かって、決めたことをこなす、

 

ただそれだけだった。

 

なるほど。

 

実に、シンプルだ。

 

.

.

 

おもしろい話を聞いた。

 

キンコンの西野さんが、

 

ユニフォームで仕事モードになる、という話を語っていた。

  

彼はアトリエで作業をしている時はあえてエプロンを身につけるようにしているらしい。

 

別に、絵の具を使うなど汚れる作業をしている訳ではないのにだ。

 

どういうことかというと、

 

エプロンをつけると、自然と仕事モードに切り替わるから、ということだ。

 

よしこれから働くぞ、となるらしい。

 

ダラダラを防ぐには、ちょうどいいんだ、とも。

 

漫才をしていた時には、漫才スーツやジャージをユニフォームにしていた、という彼は、TPOに応じた正装つまりゾーンに入れる仕組みをつくっていたということか。

 

視覚的にも、この時はこれを着るんだ、とルールが決まっていれば安心するし、分かりやすくモードに入りやすいのだろう。

 

ダラっと出来ないから、シャッキっとするには持ってこい。

 

なんだか、女性がここぞ、という時にしっかりお化粧をするのに似ている気がする。

 

基本的に、自宅で作業をしている時も、いつでも出掛けられるように毎朝いちばんにお化粧だけはするようにしている。

 

すると、自然と背筋が伸びて、体がシャンっとする。

 

自宅なら、仕事場までわずか5秒、の距離にあったとしても、

 

たったこれだけのことで不思議だけれど、いわゆる寝起きの顔に部屋着やパジャマで過ごしている時とは、比べ物にならないほど、頭も体もシャンとする。

 

彼は、性格は服装に持っていかれる、とも語っていた。

 

真っ先に、

 

セルフブランディング...

 

という言葉が浮かんだ。

 

たしかに、洋服や身につけるものは、自分のセルフイメージを作り上げるのに、自他ともに十分な効果を発揮する。

 

無意識のうちに、こう思われたいイメージを外部に向けて発信しているもの、それが洋服だ。

  

鏡に映った自分をまざまざと見続けている訳ではないし、お洒落も他人のためにしていることとほぼイコールになる。

 

恋人とのデートに、かなり念入りにお洒落をして、相手の男性が気合いの入ってないと感じさせる服装で来られると腹が立ってしまう女性が多いのも、(つまり大切に思われていないと感じてしまうこと)のも、なんかうなづける話だよね。

 

マスクの着用で、口紅の購入需要が落ち込んでいる。

 

どうせ、マスクをするから塗らなくていいや、という女性が多いという訳だ。

 

コロナの経済的打撃はこんなところに拡がっているのだな、と思った。

 

みんなこぞってマスクをしている。

 

電車に乗っても、カフェに入っても。

 

いつまで続くんだろうか。

  

病は気から、と言うように、暗い気持ちに引っ張られそうになるのをグッと堪えて、せっかくなら、自分に似合う色のルージュを塗って、口角上げて笑っていた方が幸せな気分で気持ち的にはコロナに勝てるとわたしは思っている。

 

楽しくお洒落して、大手をふって出掛けられる日が1日も近いことを願ってやまない。